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今僕はこの原稿を栃木県那須町の山奥にある木造の大邸宅カフェ「フランクリンズ」のテーブルに座って書き出している。店主は30年来の友・加地保夫さん(65)の次女彩登子さん(30)と、その夫・吉則さん(48)夫妻。
今夜から始まる、20年振りの縄文の唄旅・三上寛ツアーの初日の会場である。三上は今リハーサルを開始した、例のブルースである。今年2014年4月26日、このフランクリンズ(小地主の意・米シアトルには同名の大学もある)。山中とはいえ2600坪の広大な敷地には大きな池やブルーベリー畑、子供が楽しめるブランコまである。とにかく緑々々の大自然の中で楽しむ音楽と、保夫さんの奥さん・悦子さん(65)調理師の手作り料理でもてなす気持のいい店なのだ。 加地さんと出会ったのは、1981年、大船渡のマイヤ本店で開かれた、加地保夫・空間の表現展。会場でお会いした時、意気投合し、その場で、僕に作品を一点くれるという。僕も、本当に貰えるのなら、どれでもと言えばいいものを、これ!と指差して貰った作品は、その作品展の主軸をなす“線一風化”。この作品は今、開運橋ジョニーの入口にある。 あとで知ったことだが、実はその作品、第20回ホアンミロ国際ドローイング展に出品予定の作品だった。それを何も言わず、僕に渡してくれた彼。以来僕等は、ジャンルは違えど、良き友、よきライバルとして、陸前高田の文化をそれぞれ別角度から牽引したものだった。彼の奥さんも面白い絵を描く人。 保夫さんは愛媛県伊予三島市(現・四国中央市)に1949年に生まれ、78年渡西し、バルセロナの国立応用美術学校に学び、ダニエル・アルジェモン教室にて石版画(リトグラフ)をも修得し、81年帰国。その初の国内展が大船渡だったのだ。10年後の96年に県の優秀美術選奨受賞。 風化、風の記憶、樹、地、波、窓、黒、などのシリーズ版画は、彼の独特の手法とあいまって、独自の境地を切り開いてきたのでした。奥さんの故郷・陸前高田を離れ心機一転、海から山の暮らしへとシフトを変えた彼の今、墨のドローイング(樹木)を版に起こす作業に気を入れている。
一関は雨だった。6月29日朝、玄関先で「雨降って地固まる!今度こそ大丈夫だべ!」皆に聞こえる大きな声で笑いながら言っていた兄嫁。それは、澄(79)兄の3男・智之の結婚式の日。宴で僕も自作の「潮騒の森」を一曲。キャンドルサービスの時「2回もすみません」と智之君。「僕も2回目だから」と笑い返す。次兄の・敏夫(76)の長男・敬一もやっと結婚したと報告あり、二重のめでたい日となった。
式後、実家のある平泉の老人介護施設でお世話になっている長兄・幸男(82)を、姉・君子(73)と一緒に見舞った。幸男兄はブラジルや、アメリカのカーネギーホール出演等、世界8ケ国で公演もした「平泉達谷窟毘沙門神楽」を率いて太鼓を叩き、何十年も子供達に神楽の舞を教え続けた町勢功労表彰者。 茨城に住む姉は、盛岡から新幹線で帰るというので盛岡泊。自分史年表を見せて貰った。「1941(昭和16)年5月16日、姉・君子は双子で生まれ、もう一人のサダ子は命名後に死亡。2年後妹・フミ子誕生。その3年後の1946年、幸治爺69才で亡。後、妹・3才で亡。47年弟・顕(僕)誕生。65年母・キノエ倒れる。12月長男(姉の)・満則誕生。67年長女・明美誕生。母・キノエ亡・享年59才。88年父・省平(83)亡。などなど2013年10月、姉の夫・忍さん(76)が亡くなるまでその他諸々細かに記録されていた。 女の姉妹でただ一人生かされてきた姉は、「二人の妹分まで生きなきゃね!」と元気だ。その君子姉は昔「こもれび」という月刊の家族新聞を発行していたことがあった。「生きているんだか、死んでるんだか」という親たちの声を受けて、両親、兄弟、親戚に送った手書きのコピー。そのことを書いて読売に投稿し全国版にも載ったことも。 当時姉は「世宇」という雅号を貰ったばかりの書家でもあったから、僕が制作したレコードジャケット文字を何枚か書いてもくれた。その代表作があの五木寛之の小説にちなんだ名盤・坂元輝の「海を見ていたジョニー」。 姉が盛岡に泊まった翌日、石割桜と盛岡城跡を散策。小岩井農場とあの一本桜を見学。帰りに繋の湖山荘で御所湖を眺めながら温泉につかり、外に出たら目の前に美しい二重の虹。「あっ!開運橋!」と姉が叫んだ。
時折ひょこひょこっと店に顔を出してくれる、藤村敏さん(83)は、昔、中学校の先生だった。とにかくジャズが大好きで「岩手ジャズ愛好会」が出来た1989年の初代会長が故・及川大治さん、その時副会長だった藤村さんはのちに、2代目の会長も務めた。
こう書くと偉そうな人にとる方もいるかも知れないが、偉さには目もくれず、自分の生きる道に徹し、自分がやりたいことを極めることが大事!と平教員一筋に、理科と社会科を教え。運動部では自分が好きだった卓球指導や、放送や映画といった視聴覚教育に力を入れた人。 昭和6(1931)年5月2日盛岡に生まれ岩手高校から岩手大学教育学部を卒業し、岩泉、雫石、盛岡と、それぞれ10年以上づつの勤務だった。子供の頃、家にあった蓄音機に興味を持ち、高校時代に音楽に目覚めた。教員になってからは手当が出る宿直を率先して引き受け、ラジオから流れてくるFEN(米進駐軍向けの放送)の英語解説による、Vディスクでのジャズ放送を夢中になって、それこそ一晩中聴いていたらしい。中でも、トミードーシー楽団やカウントベイシー楽団、ベニーグットマン等の演奏には心がうきうきし、ジャズの凄さに感激し酔いしれた。 同じ頃、次第にオーディオにもはまり、レコードを月賦で買う生活が始まった時「聴くなら大系的に聴いて行こうと考え、レコードの中に息づく、演奏者一人一人の特徴ある音を聴き分け、理解し、そのミュージシャンの個性を追求し楽しみながら熱心に聴き学んだ。それは、そのままジャズの歴史ともいえる同時性で聴くことが出来た幸せな時代だったとも云える。 「愛好会ではよくコンサートも主催した。会場探しからポスター貼り、チケット売り、赤字の補填(ほてん)。大変だったけど面白かった。ジャズが好きな人達の集まりだから、協力もあった」。「今は生活と同じでジャズの要素はすべての音楽に取り入れられている様にまで普及した」と喜ぶ彼。 定年後は大人対象の北東北卓球大会を組織し10年間主催した。今は新たに4回目となる「三陸復興、ラージボール(新卓球・軽くて大きくて親しみやすい)大会」の顧問を務める。
私達、素人ジャズコーラスをやってるんですが、プロの歌手とギタリストと一緒に、ここでライブをやらせていただけないでしょうか。そう言って昨年末の2013年初めて来店した大綱白里市に住む盛岡出身の望月美咲さん(旧姓・高井56才)。
それがこの6月20日に実現した。ギタリストは堀江洋賀さん(30)。7月発売という出来たばかりの新作CDを携えての来盛。「星降る渚」「月夜」など自作曲で九十九里浜に想いをはせる作品。高校時代ジャズに目覚め、大学でジャズ研に参加、卒業後プロ入り。ガットギターの音色が鮮烈だ。 片や石橋未由子(vo)は市原中央高校で芸術コース声楽を専攻し、洗足音楽学園のミュージカルコースを首席卒業。歌とダンスと演技を学び、ミュージカル等多数の舞台に出演。母が主宰する「スタジオb」に出入りするミュージシャン達との共演で唄を磨く25才!。その透き通る様な美しい声で歌った、大スタンダードジャズ、そのギャップの凄さと、唄の持つ別の美味しさを感じさせてくれた。 その未由子さんを中心に4人のママさん達が、ジャズコーラス、これがまた、それぞれ違う声質を生かした本格的な歌い方で、アマチュアにしておくのがもったいないと思う程の実力と魅力に溢れてた。「これ!タイムファイブの女性版じゃない!素晴らしいね」と、女房が耳元でささやく。石橋秀子。小笠原資子。小野こずえ。望月美咲。ゲストの未由子さん。10年前ヴォイストレーニングから始めたという本格派グループがこの「シビリィ」。 今回の盛岡ライブ「開運橋のジョニー」と「みちのく味処・四季」を企画した望月さんは、昭和33年(1958)生まれ。震災以来、心の中でくすぶっていたモヤモヤ感。盛岡一高を卒業するまで見続けていた岩手山や、30数年振りに見たふるさとの街や山々に感動し「何か私らしく出来るかも」それが今回の企画となった。彼女が5、6才の頃、母の結核が感染し肺を患い小学の3年間を施設の学校で過し、運動を止められたことから、中学校で始めた合唱だった。父が秋田、母は青森の出身だったこともあり、高卒以来盛岡を離れ千葉に住んでからもすでに20年。そこの仲間たちと一緒に盛岡にジャズコーラスで来れたことに、目もうるうるでした。
僕の店が陸前高田にあった時代、大船渡市から店に来てくれていた菊池百合子さん(62才・今年臨時教員を退職)が彼女の弟、惠一さんが創作したという、レコード再生針用MCカードリッジのヘッドアンプ・カタログを彼女が住む花巻から持参してくれた。
問えば、弟の惠一さん(60才)が「東京から大船渡の実家に戻って、こんなことをやっているんです」と言う。カタログは、細川音芸ドット・コムのホームぺージから引き出したものだった。型番はHA・241・レコードを素敵な音で!とある。カートリッジの小さな信号を昇圧するためのトランスはその高域帯の磁気歪が課題。それを解消するために独自に開発したというヘッドアンプなのでした。 僕は実際の音を聴いてみたいと言ったら、後日2人は大船渡からバスに乗ってそのヘッドアンプを届けに来てくれたのでした。さっそくセッティングして、御手並み拝聴!これぞまさしくHIFI!よく聴こえて来るのです。かつて、CDの信号音に20キロヘルツ以上の聴こえない音をプラスして再生するハーモネーター(フィディリックス社製)を取り付けた時に味わった様な、感動を覚えたのです。 彼・細川惠一さんは1953年11月16日・大船渡市に生まれ、宮城の気仙沼高校へ通い、アマチュア無線をやり、真空管にはまってオーディオに目覚め、工学院大学で電子工学を学び、電子工学系の会社を10社ほど渡り歩きながら、趣味でオーディオアンプ作りを始め行きついたのが、ヘッドアンプ。 実家の大船渡に戻ってからの10年。そのすたれゆくレコードの復活を夢見て、ヘッドアンプの研究に明け暮れた。そしてこの度、納得のいく良質のヘッドアンプが出来たというもの。回路の特徴は2個のFET(半導体の中を通る電流を電圧で制御する)と2個のトランジスタ(電流を電流で制御する)を直結して、カップリングコンデンサを少なくしたことで約3Vのダイナミックレンジを確保。増幅帯域は5ヘルツから400キロヘルツで50倍の増幅率となっている。興味のある方、開運橋のジョニーへおいで下さい。貸出用製品もお預かりしています。どうぞお試し下さい!。 |
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