盛岡のCafeJazz 開運橋のジョニー 照井顕(てるい けん)

Cafe Jazz 開運橋のジョニー
〒020-0026
盛岡市開運橋通5-9-4F
(開運橋際・MKビル)
TEL/FAX:019-656-8220
OPEN:(火・水)11:00~23:00

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幸遊記NO.373 「河内大祐の最先端と行進曲」2018.3.13.盛岡タイムス
 マスターに見せたくて持って来ました。そう言いながら広げて見せた一本のコウモリ傘は、なんと曲がり柄から先端まで木製。聞けば栗の木(色も栗色)で出来ていて、キングスマンという、それこそセビルロースーツ(背広)の語源となったテイラーが考案し、スウェイン・アドニー、ブリック社が制作したものなのだという。金メッキの施されたリングプレートには「○KのマークとBRIGG・RONDON」(王室が認めたメーカー)の文字。傘の先端には真鋳のキャップ。まさに杖にもなるステッキな傘(4万円もした!)。
 持ち主は河内大祐くん(27才)ジャズファン。山形の出身である彼は、中学2年の時長井で撮影された映画スイングガールズに感動。長井工業高校時代には夏休みにジャズを流している「龍上海」という子どもの頃から知っているラーメン店でバイトしジャズにドップリ!。卒後マイクロフォンの会社に就職して4年勤めたのち、2013年現在の自衛隊員(あこがれの職業軍人)になった彼の体は、男もほれぼれするほどの筋肉質。
 笑える戦争!いわゆる戦争コメデイが大好き、マッチョ系、メンタリー系も好きとあって、生活隊舎前にあるジムにて、個人的に筋力トレーニングを限界まで7、8回繰り返すことを毎日3セットやり続けているのだという。隊では第1から第5(だんだん低くなる)ほふく前身や10kgの水とダンベルを背負って20~30kmも歩く訓練など、彼にとっては当たりの職業で、なおかつ「めし泊付」のいい職業なのですよ!と笑う。
 休日には映画を見、ジャズを聴く。開運橋のジョニーにてもレコードを聴きながらデータのメモを取り、顔を上げ「聴く音楽はどんどん古い方に向いています」と笑うが、今、彼は岩手駐屯地から選ばれ昨年10月から千葉県下志津駐屯地にてレーダーについての基礎勉強からその機器の取り扱い、レーダー情報を取りまとめて指揮することなどを学び、仕事では最先端に向っている様子。
 東京が近いので、休日に山形から父母を呼んで、実家の孫とディズニーランドへ行ったり、又、横須賀にある記念艦三笠(大日本帝国海軍時代の戦艦)で海軍カレーを食べる時、自衛官の身分証を見せれば、好きなトッピングをサービスしてくれるんですよ!と実に嬉しそうに笑う彼!昔、海上では曜日がわからなくなるのでそれを避ける為、金曜日にカレーが出たという(確かにカレーは金色だね)。

幸遊記NO.372 「阿木耀子の艶もたけなわ」2018.3.5.盛岡タイムス
 昨2017年12月25日、東京千代田区にある紀尾井ホールにて行われた「Pray For Peace Concert愛を集めて広げて行こう、この地球(ほし)に生きるすべての子どもたちのために」と日本国際社会事業団の(ISSJ)子ども支援事業として世界で活躍するミュージシャンが集結してのチャリティーコンサート。そこへ我等が穐吉敏子さんも夫のルー・タバキンさんと一緒にステージに上るというので僕も女房と聴きに行った。企画したのは「コンコルデイア」の藤橋由紀子氏。その会場ロビーに大きな花が飾られていたので贈り主の名を見ておもわずガラケイのカメラで写真に収めた。会場に入ってすぐのあたりに座っていたのがなんとその贈り人・阿木耀子さんと彼女のご主人宇崎竜童さん。ドキッ!。
「ジョニーさん!これあげます!」と紫波の菅原恭子さんから頂いた「サンデー毎日」2月18日号。穐吉さんが載っているというので開いて見れば何と「阿木耀子の艶もたけなわ」第190回「穐吉敏子ジャズピアニスト・帰還した小野田少尉が軍刀を返すシーンを見て“孤軍”を思いついたんです」の副題。その記事中「国境を超えた子どもたちの支援団体からお声を掛けていただくでも嬉しいことです。お役に立てて良かったなと思っています」と秋吉さん。阿木さんが昨年末に出版された岩崎哲也さんが聞き手のインタビュー本「エンドレス・ジャーニー」でピアニストとしてのサクセスより人間として成長を最終目標としていると答えていることについて問えば「人間関係が一番大事。基本的には愛。具体的に言うと誰かに何かをしてもらったら、そのことを忘れずに感謝をするというような」は、まさに穐吉さん。
 このことについて1980年に僕が穐吉さんの初コンサートを開いて以来、一年も欠かさずクリスマスにアメリカからケーキが届くのだが、僕と一緒にNYへ穐吉さんのコンサートを聴きに行った人達へも、そのつど贈り届けて感謝の意を表しているのだからさすがです。届けられた方々は、もう天にも昇る想いにかられ、そのことを僕に報告してくれるのだから僕も二度、天空へ。すると又ニュース!「今日の朝日読んだ?」と牛崎隆さんから電話!「政治へジャズ語で訴え続ける秋吉敏子4月来日ツアー」という3月3日付記事。岩手、石川、大分、東京、三重など回る予定とありました!

幸遊記NO.371 「小林ゆうこのゴールドボイス」2018.2.26.盛岡タイムス
 あれは2009年9月1日、目黒駅前のジャズクラブ「BLUSE・ALLEY・JAPAN」加藤アオイ・真由親子のCD「葵繭(あおいまゆ)」(ジョニーズ・デイスク)の発売記念ライブの夜、岩手出身で東京で活躍中のジャズギタリスト・小林道夫さんと連れ立って来た女性シンガー・野崎ゆうこさんから一枚のCD「ミスターワンダフル」を頂いた。盛岡に帰ってからそのCDを聴いたら、ジャケットの素人臭い作りとはうらはらに、その歌の本格的さに驚いた僕。その後地下時代の「開運橋のジョニー」のセッションに来てくれてそののどや腕を披露した二人は間もなく結婚。
 小林となったゆうこさんは2010年の「浅草ジャズコンテスト」翌2011年の「神戸ジャズボーカルクィーンコンテスト」でグランプリに輝き、「上野JAZZ・INN」「神戸新開地ジャズ音楽祭」他、副賞でのアメリカ「シアトルジャズアレイ」出演などを果たした。
 共に東北出身だった二人は、震災後の2012年4月27日に、夫・道夫さんの実家がある岩手県滝沢市に移住。その直前十日前の4月17日、それまで在住した東京国立市のホールで彼女は小林名でのファーストとなるセカンドアルバム「Two fo The Road」を録音。岩手で道夫さんが立ち上げた「グリーン・レーベル」から発売。2013年からは自分達の演奏活動の傍ら「小林ゆうこ音楽教室」を開き、夫と二人でヴォーカル、ギター、作曲、音楽理論を教えている。
 小林ゆううこさん(47)は福島会津若松出身、母のお腹の中にいる時から父にジャズを聴かされ子どもの頃には母方のおばさんからピアノを習い、郡山女子短大音楽科声楽専攻を卒業。カワイのピアノ講師を数年やり上京。一年半後に帰省した時、高校時代からジャズが好きだった父は、本当にやりたい人ならアメリカに行って来たらと後押ししてくれて一年間ナッシュビルとシカゴへ語学留学、帰国後、英語の発するリズム、メロデイに合わせた話すときのようなアクセントを大切に歌うよう心がけてセッションに通い、気の会う人とライブをやり始めた頃、紹介され親しくなったのが道夫さんだった!と彼女。
 さて、いよいよ、その小林ゆうこwith金谷こうすけ(p)小林道夫(g)中嶋明彦(b)による「開運橋のジョニー」での初ライブは2018年3月2日(金)19:00スタートである。

幸遊記NO.370 「日本ジャズボーカル賞表彰式」2018.2.19.盛岡タイムス
 2018年1月14日、新宿「SOMDAY」にて行われた第33回日本ジャズボーカル賞・表彰式及びジャズワールド新春JAZZパーティ!。15時の開演から22時の終演まで7時間身動きがとれぬ程入れ替われ立ち代わり超満員。旧知の歌手たちとハグハグ。
 司会役の高山恵子さんがインフルエンザで欠席の為急遽、歌手正木まどか、大地耀子さんの交互司会でボーカルセッション。演奏は2組のピアノトリオプラスゲストミュージシャン。終宴まで新人やベテランボーカリストが何十人も出演しノドを披露。その間の表彰式で選考委員を代表して瀬川昌久氏が乾杯の音頭をとって「おめでとう!」新人賞・金本麻里、特別奨励賞・瀬戸カオリ、大賞・丸山繁雄の3者。表彰状を読み上げる瀬川氏。
 「表彰状、平成29年度第33回日本ジャズボーカル賞・新人賞・金本麻里殿。貴女は現在障害者施設で生活支援員として働き、その心優しい博愛心は地域の方々から尊敬されています。またジャズボーカリストとして精神に励み明るい正統的な歌唱と深遠な曲の理解、そしてボーカル仲間との深い友情はジャズ界から高く評価されております。ここにそれらを賞賛し、新人賞を贈り表彰いたします。」と賞状と金一封!
 「瀬戸カオリ殿。貴女は音大でピアノを学び、未来劇場で女優として活躍、さらにジャズボーカルに転じて研鑚に努め、国内はもとよりニューヨーク、スイス、ドイツ、フランス他国際的ジャズフェスにも多数出演豊かな感情表現、伸びやかな美声、エンターティメント性溢れる華やかなステージで魅了し多くのファンに愛されております、、、、。」
 「丸山繁雄殿。貴方は早稲田大学ジャズ研時代からボーカルインプロビセーションを志向し独創的、革新的にジャズの本質を探究し、その驚異的な唱法はジョンヘンドリックスをして彼こそ本物と言わしめ絶賛されました。又、作編曲にも優れ多数のアルバム著作を発表、ジャズ史をひもとき、学術的にもジャズの根源を追求。さらにジャズ界史上初の芸術博士号を贈られるなどその栄誉は他の模範となっております。」であった。
 それにしても2足のわらじ、地方在住での新人賞受賞!毎日新聞は夕刊(1月26日付)で「2つの天職」として報じた。開運橋ジョニー発、大応援団の参加。麻里のアカペラ「希望(ホープ)穐吉敏子作曲・谷川俊太郎作詞」では酒宴の会場が静まりかえった程、圧巻の歌唱!嬉し涙が溢れた!

幸遊記NO.369 「松川寛幸・麻由の吉浜食堂」2018.2.12.盛岡タイムス
 盛岡駅から開運橋を渡った正面にある大きなTVのあるビル。その右隣り1階にPRIDEの洋装店(4階に僕の店)。その開運橋通りの3軒先、沢内甚句さんの2軒手前、KATEKYO学院の入っているビルの1階に昨2017年7月26日にオープンした「吉浜(キッピン)食堂」が、じわりじわりと客足を延ばしていて嬉しい。
 経営しているのは松川寛幸さん(39)麻由さん(34)ご夫妻。「夜の街じゃない、駅の近くで観光客にも、三陸の新鮮な海の幸を食べさせたい!と開店。貝出汁スープと自家製麺のコラボによる海藻ラーメンは、見た目も味もまったく別もので漁師ならではの自然な素材の味が生かされている一品。絶賛の海鮮丼、アワビやめかぶのしゃぶしゃぶにはじまり、さしみは勿論、貝や魚の自家燻製、海藻類、生ウニ塩ウニ、ウニのバター焼き、いかの丸干炙り、はたまた紫波豚のステーキやトンカツに至るまでのメニューは日本酒、焼酎、ウイスキー、ワイン、ノンアルコール、それぞれに合わせたつまみとしてもこと欠かない。
 店主の寛幸さんは大船渡市三陸町吉浜の出身。北上市の黒沢尻工業高校時代はボクシングをやり、2年生の時インターハイで全国3位に!今では料理の腕前にも自信あり!の彼は、かつて東京世田谷の千歳(ちとせ)というところで、軽トラックを改造したキッチンカーで警察の許可をもらい、海鮮屋台をやった。車は、吉浜で食堂を開いていた彼の母が、土日イベントで使用していたもので、何故、千歳だったかは、大船渡にも同じ字の千歳(せんざい)というところがあったから!アーッハッハと笑い転げる。
 2年後の28才から盛岡南イオンにオープンした彼の母が経営する吉濱ラーメンを12年手伝い、その間に彼(寛幸さん)が作ったアワビのおにぎりに食いつき、釣り上げられてしまったのが麻由さん。彼女は釧路の出身。洋服屋さんになりたいと、イオンに入っている会社に高卒で採用となり、本社、釧路、名古屋、青森、各地で売上げを伸ばす才能を買われ盛岡南イオン店長で来た時に、吸い付いたら絶対に離れないというアワビに出会ってしまったのです。その2人が創り出した古風で新しいセンスの居心地がいい空間。隅々まで心配りをしながら、笑顔で接待する!は、まさにキッピン!ベッピン!スッピン!

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