盛岡のCafeJazz 開運橋のジョニー 照井顕(てるい けん)

Cafe Jazz 開運橋のジョニー
〒020-0026
盛岡市開運橋通5-9-4F
(開運橋際・MKビル)
TEL/FAX:019-656-8220
OPEN:(火・水)11:00~23:00

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幸遊記NO.477 「希望の光ともす横浜」2020.3.9.盛岡タイムス
 横浜の野毛にある現存日本最古のジャズ喫茶「ちぐさ」から新作のCDが届いた。日本ジャズ界のレジェンドピアニスト・今田勝さんが、昨2019年26回目を迎えるはずだった「横浜ジャズプロムナード」(台風の為中止となった)のプロデューサー・柴田浩一さん(74)の著作「ビッグバンド大辞典」の出版記念会の席上で「横浜ジャズプロムナード・オールスターズとしてCDアルバムを制作しよう」と呼びかけたことから柴田氏と親交の深いミュージシャンが世代を超え(20代~80代)22名が一堂に会し、様々な組み合わせ(ソロ・デュオ・トリオ・カルテット・クインテット・セクステット・セプテット・テンテット)による、トラディッショナルから日本のオリジナルまで16曲、日本のトップミュージシャンと注目の新人たちによる「日本のジャズ史に残る奇跡的なライブアルバム(たった一日限りの白昼のジャムセッションが実現した)ビギニング・トウ・ザ・ライト(希望の光が見えて来た)」
が完成(2020年3月11日・ディスクユニオンより発売)
 発案者一般財団法人・ジャズ喫茶ちぐさ・吉田衛記念館・CHIGUSAレコードの代表・藤澤智晴さん(74)の趣旨に賛同した筒井之隆さん(カップヌードルミュージアム館長)のお話が、今田勝さんの耳に入り、彼が柴田さんと親しいジャズメンへの呼びかけ。そこで、ディレクターを買って出たのが柴田氏の同級生で横浜ジャズ協会副理事長の小針俊郎さん。彼は後輩で東京FMの岩崎育郎さんに声をかけ、旧知の柴田氏のことだからと、番組にすることを前提に録音を快諾しスタジオを提供され、ジャズプロムナードの開催月である昨年10月6日に実現したというまるでイモヅル式の様な発展の仕方であるが、制作にかかわった方々も演奏者を超える層厚で「日本のジャズは横浜から始まった」をまざまざと見せつけられる。「一生懸命に勉強したいって気がある人にはもっと教えてやろうってなるよ」「プロデュースしてくれる人がいるから音楽が成り立つ」「聴いてくれる人がいなきゃ話になんない。」「聴く人がいたらその人の耳をこっちに向けさせなきゃいけない」などのライナーでの会話にも演奏も聴く人あってのことを原点におく。ちなみに盛岡のジャズ歌手金本麻里さんも1曲参加抜擢されました。

幸遊記NO.476 「ニッポン・ジャズ100年」2020.3.2.盛岡タイムス
 月刊スイングジャーナル誌(1947~2010)の後継誌である「JAZZ・JAPAN」誌(2010
~)のVo1.115(2020・4月号)はニッポン・ジャズ100年特集号である。1920年の月刊楽譜誌7月号に「東京ジャヅバンド」のポートレイトが出ていてこれが日本の雑誌に登場した初めての「ジャズ」の可能性とある。バイオリン、バンジョー、ピアノ、ピアノ兼パーカッションの編成。バンジョーは米人。同年6月17日来日、19日公演「米国加州大学クレー倶楽部主催、音楽及び舞踏大会、ジャズ・ダンス」の新聞広告(朝日)が日本で初めて新聞に出た「ジャズ」という言葉の可能性があり、そしてこのバンド演奏を当時のニッポノホンが録音して計2枚、4曲を「ジャヅオーケストラ」「イントリウメンタルトリオ」で発売した日本初の「ジャズレコード」。翌21年6月17日読売の浅草帝国館で「松竹独特ジャヅバンド・今週より弾奏」の広告。恐らくこれが日本のジャズ「ライブ」の始まり、と。録音では同年陸軍戸山学校軍楽隊による「ホネームーン」「ホームスイートホーム」のジャヅが日本人の演奏による初録音。「ジアツ」「ヅャヅ」「ヂアヅ」「ヂャヅ」「ジャズ」等々時代と共に様々な書き表し方で伝えられてきた日本でのジャズレコード史100年に興味津々。
その中で40年余り前(1978年)から細々とレコードの自主製作を続けてきた「ジョニーズ・ディスク」の新作「金本麻里・ジェリコの戦い」が日本のジャズ100年を特集したジャズジャパン誌にCDレビューと金本さんへのトピックス・インタビューが半ページ、1ページでの掲載になり、日本のジャズを標榜してきた僕にとっては何よりも嬉しいグッドタイミング。
評論家・高木信哉氏は冒頭で「名シンガー・金本麻里の新作」と「マヘリアジャクソンを彷彿とさせる歌声が素晴らしい」「ホープ(谷川俊太郎作詞・秋吉敏子作曲)は東日本大震災からの復興の願いが込められている。金本の心のこもった真摯な歌声に思わず泣けてくる」の評。ジャズ批評誌では「何という驚くべき成長ぶりだろう。声量たっぷり、安定感抜群、力の抜き加減も絶妙。テクニックを超越した人生の喜びと哀しみを凝縮した天性の歌心がある。ピアノの武藤晶子、フルートの小川恵理紗、金本を軸にした3人の至高のまとまりを見せる」(後藤誠一)とある。

幸遊記NO.475 「ジャズワールド紙の休刊」2020.2.24.盛岡タイムス
 1月9日(2020)東京のジャズワールド社からFAXが届き、読んでビックリ!「ジャズ新聞・ジャズワールドを休刊することといたしました。つきましては惜別のお言葉を頂きたく存じます」だった。ジャズワールド紙は1979年3月の創刊以来1号欠番もなく41年間発刊、2020年2月号の通巻492号が最終となった。この新聞の最大の功績は「水島早苗賞」のちの「日本ジャズボーカル賞」を制定。2019年度まで35年間、大賞、特別奨励賞、新人賞で表彰し日本のジャズ歌手たちを応援励まし続けてきたことだろう。
 内田晃一編集長(93歳)企画から取材、撮影、記事、事務、新聞の発送まで現役でこなし、なおかつ、戦後のジャズ復興期から現在に至るまでバイブラフォン奏者として現役で自己カルテットを率いている怪物!なのだ。僕が彼と出会ったのは創刊まもない79年、日比谷野外音楽堂で行われたサマージャズ祭会場。以来今日までそれこそ1号も欠かさず日本のジャズ、特にもボーカルに関する情報を届けてくれ、また日本ジャズ祭その他取材で岩手にも足を運んでくれたことなど想い出されます。ジャズボーカル賞授賞式も最初の頃はホテルや、ツムラ本社の豪華なホールなど華やかな時代もありましたが、近年は、ジャズクラブなど身近な会場でより親しみやすくなっていた。休刊は年齢ということもあろうが、ご苦労だったのでしょう。
2016年度の優秀歌唱賞に輝いたおぬきのりこさんの「生演奏自体は依然としてエネルギーを失うことはありませんが、生演奏の現場は人が足を運ばなくなって久しい」は正にそれ。「巷のメディアがジャズを見放した平成期にもジャズを志す後身たちに寄り添って希望を与え続けた」と佐藤マサノリ氏。2013年大賞の豊田チカさんは「内田さんには後輩ミュージシャンとして敬意を表したい。母マーサ三宅、父大橋巨泉、姉大橋美加、そしてわたくし、親子4人とも何度貴紙に取り上げて頂いたかわかりません心から感謝」日本のサッチモこと外山嘉雄さんは「世界最年長のバイブ奏者として演奏をお続け下さること祈っております」評論家の瀬川昌久さんは「ジャズに関する月刊誌はほかにもありますが本紙のように身近なジャズメンやジャズ歌手の情報を克明に報じる上にジャズボーカル賞その他を通じてジャズ界の発展に寄与しているメディアはひとつもありません」他多数の文に淋感!

幸遊記NO.474 「東海新報の鈴木英彦氏」2020.2.17.盛岡タイムス
 10Bの鉛筆を握りこの原稿を書きだしている。右脇には数十輪の生花。この花は一週間程前の2月9日大船渡で行われた葬儀の帰りに渡され頂戴してきたものである。亡くなられたのは東海新報社の鈴木英彦社長(77)。そのことを知ったのは本紙・盛岡タイムスが知らせた「東海新報社の鈴木英彦社長が死去」の訃報であった。僕は丁度この幸遊記のナンバー472で東海新報に関連することを書いていた時と重なり、ビックリした。
 東海新報社と鈴木家の合同葬の式次第と彼の経歴の書かれたパンフレットを見ながら僕は様々なことを想い出していた。まずはあの2011年3月12日付の東海新報号外「大津波、街を呑む」に始まって4ページ立てを3月いっぱい無料配布しながら安否情報や伝言など読者に自由解放し、通常通りに発行し続けた地域紙としての模範的行動。そしてようやく有償個別配達を再開した4月1日新聞には「笑顔はずませ復興まつ」と瓦礫の街を背景に笑顔いっぱいの5人の子供たちの姿と高田松原に残った一本松に希望を託してのシャレたトップ記事の見出し。社長の鈴木氏が毎日担当していた「世迷言」では「JR東日本の社長は津波で被害の出た太平洋沿岸の7路線すべてを復旧させる方針を明確にした。しかしそれはリップサービスというもので、赤字路線は切り捨てよという資本の論理が前面に出て、あれこれ理由をつけバス輸送になるのではないか。昭和10年盛まで開通の大船渡線気仙沼以北の同線は使命を終えてバスにその座を譲る時ではないか」と震災から1ヶ月もしないうちにそう書き語った鈴木社長の先見の言葉は流石。
 1981年社長になり、7年後には社屋を海岸から湾口の見える高台へと移転させたことも彼の先見の明であった。趣味では69年大船渡にジャズのビッグバンド・サンドパイパースを結成。自らリーダーとしてバンドを率い、最近ではいわてジャズや東京ジャズなどで、世界のトップスターボブジェームス等と共演を果たし、全国に知られるまでに育て上げた手腕と誰からも好かれる人望の厚さが物語る素敵な笑顔と飾らぬ人柄は紙面にも反映され、「震災前より部数は伸びている」と聞く。彼が愛した曲、マイウェイのトランペットによる葬送奏が耳に残る。

幸遊記NO.473 「外人が注目する日本ジャズスピリッツ」2020.2.11.盛岡タイムス
 今年(2020)1月15日、僕のレーベル、ジョニーズ・ディスクの新作「ジェリコの戦い」CDが、東京のレコード会社「ウルトラヴァイヴ」を通じ全国発売となり店頭に並んでいる。歌っているのは盛岡出身・在住のジャズ歌手・金本麻里(40)。2011年3月の「ホープガール」でのデビュー。これまでに第1回横浜ちぐさ賞。第33回日本ジャズヴォーカル賞新人賞を受賞。2007年から10年間開催された「いわてあづまね山麓オータムジャズ祭・イン・紫波ビューガーデン」10回連続、「盛岡大通・ビッグストリートジャズライブフェス」に33回連続、「横浜ジャズプロムナード」へも選出され2014年以降連続出演。その他の様々なイベントにも東北関東中心に呼ばれるなど、日本ジャズボーカル界の成長株である。女性3人(ピアノ・フルート・ボーカル)による今作は「流れるようなスムースなリズム展開が個性的。声と唱法がよく生きている」(評論家・瀬川昌久氏)の評。月刊ジャズジャパン誌は1ページをさいて金本麻里のインタビュー記事を掲載するとの事で取材あり。そして又、盛岡市内・M’sXPOのCDショップから2月15日午後2時からのインストアライブ依頼が、東京経由で来たので打ち合わせに行って来た。
 M’sXPOショップに入って驚いたのは店内奥の壁一面がジャズコーナーであったこと、しかも話を聞けば「以前にCD化されたジョニーズディスクは好評でした。特にも海を見ていたジョニーは随分売れましたよ」とのこと。さらに、今年1月中旬から3月下旬までの期間で全国キャンペーン中の「和ジャズ傑作選」(ニッポンジャズ・スピリット)50タイトルが特別展示されていたので目をやれば、な、なんと、宮古出身の故・本田竹広の7作品。そして僕が70~80年代に制作したジョニーズディスクから6作+2枚組ベスト盤の7作がその中に含まれていて、制作者の僕自身ビックリ。更にその50枚から選んだ9曲を1枚に収めた「シーナリィ・オブ・ジャパニーズ・ジャズ」というオムニバスアルバム(期間限定価格¥1200)にも3曲が選ばれており「自身の耳のみを判断基準に良盤を求める海外リスナーが注目する“和ジャズ”その中から海外で評価の高いトラックを集めた和ジャズコレクション」とあり、昔々の僕の耳をフィルターにした作品が40年を経て海外からの(岩手県?)評価に驚くばかりです!

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