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今日4月13日(2020)は、あの3・11大震災の2011年以来待ちに待っていた津軽三味線・高橋竹山の開運橋のジョニーへ来演の日でした。でもコロナウィルス騒で延期!残念至極。そんな中で今、やけにしみるのは「うたも楽器も、からだあってのこと、からだの中には、風景も想い出も勇気も失望もしっかりとしまわれています」(田中泯・舞踊家)の「竹山の
汀へ」のCD解説文。現竹山は二代目で女性。昔の芸名は竹与さんだった。初代・高橋竹山が盛岡で演奏したのは1974年6月、77年4月、80年6月、83年1月、90年6月(主催・盛岡労音)。僕が聴いたのはいつだったかなあ、、、、大船渡農協会館、気仙沼市民会館での2回、どちらも労音主催だった様な記憶だがレコードでは随分と聞いたし、今も聴く、本も読んだ。 そんな中「津軽」で連鎖したのは1932年から現在まで88年も続いている盛岡市本町通にある喫茶店「ママ」の三代目ママ糸坂昭子さんの“つがるの笑顔”(津軽出身83才)であった。その盛岡現存最古の喫茶店「ママ」で、これまた岩手現存最古の文学誌「北宴」の編集者である歌人・小泉とし夫(本名・岡澤敏男)さんの卒樹讃(93歳)展(書・照井顕)が、明後日の15日(水)まで開催中である。8日に行われた小泉とし夫さんの朗読会はコロナに注意しながらの開催!何しろギター伴奏(演奏者は医師で太陽のコロナも含む宇宙研究観察者)八木淳一郎さんとあってか皆さんどこか安心顔でした。それでも「人つどい また別れいく北宴の 野分のさなか 息ひそめいる」など別意味のコロナに聞こえなくもなかったり。 開け放された店の窓から時折ゴロゴロゴロー遠雷の如く往く車音と共に「ママ」の 二代目ママ節子さんが昭和30年代に書いた詩「遠雷」の「自分のことばかり考えながら しかも 自分の為に生きる術を見出せぬ愚かものが ここにも一人」の一編さえ、僕のことの様に頭を横切ってゆく。それにしても拡大の一途をたどるコロナの猛威!街は一体どうなってゆくのだろうと思う間もなく僕は自分で「街」に反応!戦争中「ママ」は敵性語だから(ママならぬ?)と禁じられ「街」という名にした昔のママの生き残り作戦!それでも終戦までの一年間休業を強いられたと。今僕の店は待ちに待つ街に待つ作戦?
スポーツ、芸術、文学、音楽、その他のあらゆる分野において、日本中!世界中!から今最も注目されているのが「IWATE・KEN」。真に遅い開花の春がやっと来ました的な一大岩手ムーブメントの到来である。僕達ジャズの関係での最注目は5月公開予定(コロナで延期?)の「ジャズ喫茶ベイシーのバラード」(星野哲也監督作品・104分)。同店に去来した大物ミュージシャンたちのライブ映像や巨大スピーカーが発するアナログ再生音の生収録音、半世紀もの間、店や彼のファンを魅了し続けて来たマスターこと“スウィフティー”・菅原さん自身はじめ、ゆかりの著名人たちへのインタビューで綴られた、日本固有の文化であるジャズ喫茶を紹介するドキュメンタリー。しかも、日本一の音と評され続けて来た「聴く鏡」ベイシーの「ステレオ」が主役となる世界初オーディオ(レコード演奏家)の映画!これはすごいことです!
昨日(4月3日)その主人公・ベイシーの菅原さんから僕のところに電話あり「そっちはどうだい?こっちはコロナで封鎖中!」とのことだった。彼がいつも言っている「一関の常連は3人だけ、あとは全部外から」は盛岡の僕の店だって右に同じのジャズ喫茶という不思議な存在。いわゆる地元民にとっては今では殆ど必要のない有名無実?の店ということなのでしょう。 それはそうと、ジャズジャパン誌5月号(2020)表紙はなんと宮沢賢治である。しかも「宮沢賢治は“日本初のジャズ文学者”だった」と。ニッポンジャズ100年の外伝特集。賢治(1896~1933)の生涯は、まさにジャズの草創期に一致し「21年1月上京(家出)し文京区に住んだ時期日本でジャズが流行し始め、6月“日本初のジャズライブ”が活動写真(映画)館「金春館」(新橋)と「帝国館」(浅草)で始まり映画好きの賢治がこの時ジャズを聴いて興味を持った可能性あり(もしくは23年1月の上京時)」とある。彼の作品「岩手軽便鉄道七月のジャズ」や「火薬と紙幣」の中の「ラッグ(ラグタイム)」「ジャズ・夏のはなし」「JAZ」「セロ弾きのゴーシュ」での子狸とのセション及びフォックストロットでの“インドの虎狩り”演奏等々真にジャズ文学。著者の中山智広氏は仙台出身だが母方の実家が小岩井農場の中にあって、親戚に賢治や宮沢家と交流のあった盛岡の詩人・宮静枝さん(1910~2006)がいた。とあり、これまた岩手つながり(宮さんは生前ジョニーにも何度も来店)である。
「日々全力でレコードをかけてます」菅原正二(一関ベイシー)。と帯に書いてあるポートレート・イン・ジャズ喫茶(写真・谷川真紀子)本。2018年から2年の歳月をかけ現地取材した「日本ジャズ地図」という本が2020年3月24日全国の書店に並んだ。(交通新聞社¥1.600+税)。扉を開けば「ガラパゴス的かどうかは別として、日本にしかない、音楽聴取を目的とした喫茶空間であるジャズ喫茶。好きな音盤をかけてお茶を差し出すという決まり事だけが共通の、千差万別多種多様な店を訪ねる全国行脚。あなたも始めてみませんか」とある。取材者・常田カオルさん(女性)は2009年に刊行された「東京ジャズ地図」のメインライター。同本は好評博し2016年に改訂版を刊行。その更なる部数結果で、全国版「日本ジャズ地図」刊行に至ったというもの。
昔は「ジャズ日本列島」(ジャズ批評社刊)本を手にした若者たちが全国のジャズ喫茶を訪ね歩き、「来れるものなら来てみろ!」と息巻いてた僕の店にもよくぞ?来たものでしたが、昨今は外国人が日本のジャズ喫茶に夢中!自国でジャズ喫茶を開くのが夢という人もいた。ところが現在世界中でコロナウィルス騒動。僕の店も連日連夜本日開店休業。自頭に浮かぶは、それでなくてもガラパゴスの旧業!と、自己納得、納豆食ってネバル対策?シャレ言ってる場合じゃないが、シャレでも言って笑わないと耐えられない毎日ゼロ。 さて本題の日本ジャズ地図、東京のある店はその後のジャズ喫茶の見本手本だったり。親から子へ、店主から常連へ。またあるいはボランティアで継続させる店。一代きり!と一人で延々と立ち続ける店。定年後に開店した店。4万枚ものレコードがある店、オーディオが自慢の店。そうかと思えば、開店時のまま70年近く店を続けている現役最長老98才のママさん等々ジャズに魅せられた人々の生き様がそのまま店を形成している。見て読んで楽しく、勉強になり、ジャズが嫌いでも飲むのが好きな人なら飲み込み速く上手?になると思う。ちなみに47都道府県、シックスナイン(69)のジャズ喫茶中、岩手は東京、大阪に次ぐ数の4店、一関・ベイシー、胆沢・ハーフノート、釜石・タウンホール、盛岡・開運橋のジョニーが紹介されています。
昨2019年9月「一枚だけ持って逃げるなら」というジャズLP会が出版した本が届いた。発行元・市川「クール」(宅急便ではない)は司会業兼評論家として名高い行田よしおさん(75)の店YOSHIO GYODA’S SPOT「Cool」である。月1ジャズレコードコンサートを店で開催し、その100回記念に作った小冊子だ。ジャズ歌手・阿川泰子さんの「ジュリーロンドンに憧れた私」に始まり行田さんの息子・達生さんまで18人による18番(おはこ)LPでの個人的なよもやま話。各人の紹介文は店主行田よしおさん。(定価・¥600・A5判44P)。
僕にとって行田さんと言えば1998年11月19日・陸前高田で行った「秋吉敏子・ファミリー・コンサート」(秋吉トリオ・マンデイ満ちるグループ+ルータバキンの世界初演)で名司会をして頂いたこと。それ以前の96年10月23日、品川パシフィックホテルで開かれた秋吉敏子ジャズライフ50年を祝う会での司会では、当時「ニュース23」でおなじみだった故・築紫哲也氏や、行田さん言うところの作文の師であり司会の師でもあった大正生まれのジャズ評論家・故・油井正一氏等々があいさつ。宴の終わりに、「秋吉さんが勲章を貰える様、皆で頑張りましょう」としめくくった行田さんのあの一言に、僕は今なお突き動かされ続けている。 それこそIBCが45分のTVドキュメンタリー「さすらいのジョニー」(僕を特集した番組1989年12月25日放送)は、東京での作家・五木寛之氏へのインタビューシーン他日本ジャズボーカル賞授賞式での俳優・宝田明氏や行田さんとのやりとりも映る豪華さだった。その中で行田さんが僕に向かい「照井さんは、かねがね、、、」と言いかけたところで「かねがねーってすか?」と言って笑わせ「日の当たらない日本のジャズメンにスポットを当ててくれてるのが嬉しいんだよ」と言った彼に「僕はそれが行田(業だ)と思ってんですよ!」ととっさのダジャレで返したシーンだけは覚えている。それはそうと「つれて逃げてよ、ついておいでよ」の歌詞で知られる「矢切の渡し」(石本美由起・作詞、船村徹・作曲、細川たかし・歌、83年発売)の6年前(77年)スイングジャーナルに、彼は「柴又から渡し舟で江戸川を渡ると僕の住む矢切!」とズージャ色した「矢切の私」話を書いてました!。いつかクールに行って見たい!「いつクールの!って?」。
市外県外客が大半を占めるジャズ喫茶・開運橋のジョニー。案にたがわずコロナウィルスさわぎとその対策により、それでなくても暇な店に、今はほとんど誰れも来てくれない状態続き。この先いったいどうなるのやらの不安以前に「弊店は閉店」です。などとシャレ言ってる場合じゃないが、昔僕はコロナという名の自動車にずいぶん乗ったなあと思い出すコロナ連鎖。新車買えずにスクラップ寸前のポンコツばかり何十台とっかえひっかえ乗り継いできた。その中でも三速フロントギア、四速フロアシフト、五速ハードトップ、オートマチック、そしてスポーツと、今では車名が消えたコロナの中古(ちゅうぶる)台数が一番多かったと記憶する。
その一番でまた思ったのは僕が喫茶店を開き、これまで、ジャズ喫茶、しかも日本のジャズを専門に、今では外国のジャズも店で流すが、個人的にはありとあらゆる音楽に耳を通してきた僕が一番回数多く耳にした曲は何?と問えば、ふしぎにも発売された2009年から数年間毎夜床について寝ながら聴いて又今年、目覚めに聴いている2曲入りCD「風・白く」(小森田木子・作詞、磯貝セツ子・作曲)「不来方の想い出」(磯貝セツ子・作詞、作曲)2曲とも編曲は佐藤将展さん、歌は高橋佐登子さん。「風が生まれて ひとみ輝き 二人の心に 芽生えたのを 愛とは知らず 駆けだした、、、、(風・白く)」「アーア 不来方に響くうた声 弥生の空 暦めくる 春がまたくる、、、、(不来方の想い出)」前曲は心の春、後曲は季節の春。まさに今が旬・弥生・3月の歌なのである。コロナで閉じこもり気味時の今春にとってこの歌は心を癒してくれる存在。しかも盛岡生まれの曲である。見知らぬ磯貝さんに感謝です。 編曲の佐藤将展さん(元・姫神せんせいしょんのメンバー)に僕は1987年、ジョニーズディスクから発売した早坂公公のカセット「秋のエチュード」(1987年発売)の録音時、ドラムを担当して貰い、歌の高橋佐登子さんは、作品の虫の声?というタイトル?カセットを 以前僕の担当していたFM岩手のオールザットジャズ番組で放送した記憶があり、彼女が「路地裏C°」というCDを出版した2003年店で歌ってもらった、これって僕の不来方の思い出? |
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