盛岡のCafeJazz 開運橋のジョニー 照井顕(てるい けん)

Cafe Jazz 開運橋のジョニー
〒020-0026
盛岡市開運橋通5-9-4F
(開運橋際・MKビル)
TEL/FAX:019-656-8220
OPEN:(火・水)11:00~23:00

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幸遊記NO.572 「北G日曜日朝のFM放送」2022.1.11.盛岡タイムス
 毎週日曜朝8時半から放送されているFM岩手の長寿番組「北Gのサンデー・モーニング」(パーソナリティ・北島貞紀(ジャズピアニスト)/アシスタント・佐野より子(民謡歌手)/ディレクター・佐々木寿仁(FM岩手)/番組提供・うちむら家具、JA全農いわて)の2022年正月番組に2週ゲスト出演の依頼があって収録に行って来ました。とはいえ約束の日時をすっかり忘れていて、電話を貰って慌ててタクシーに乗った。あーあ!今年も自分の事ながらおもいやられるなあと独り言。
 僕がFM岩手でジャズ番組を担当したのは1985年の開局から25年間だから2010年まで。それ以来のスタジオ入り。セキュリティが厳しくなっていて受付で名前など書き、渡されたカードケースをかざさなければエレベーターさえ動ず、第2スタジオの場所さえ忘れてた。覚えていたのは開局当初から今なおも再々雇用で局に居る小田島大さん。久し振りの再会に大感激!その節は大変ご迷惑をおかけしました。
 ということで1月9日分のスタート!「70年代80年代バンドマン生活を通して出会った人たち、音楽をする事の喜びや悲しみ、今、全ての事が愛おしく思えます」と北Gさん!僕を呼んだテーマは“穐吉敏子”彼女のジャズミュージアムが、今年秋オープンする新盛岡バスセンターに出来るから。それでかけた音楽は僕が最初に出会った穐吉さんの曲「孤軍」(1974年の穐吉敏子=ルータバキン・ビッグバンド演奏)。そして僕等が彼女のコンサートを初めて主催して聴いたオープニング演奏の「黄色い長い道」(1980年6月13日の陸前高田市民会館)。
 次週16日放送分は、2000年4月1日アメリカ、ワシントンDCの国立ケネディセンターで行われたソロコンサートからの「インプロビゼイション・イン・ファイブ」穐吉さん(現92歳)70歳の時の演奏である。日本から彼女のお姉様(現97歳)達と20人程で聴きに行った「ジョニーと行く穐吉敏子への旅」まで想い出され、2曲目の「クレオパトラの夢」に至っては、僕が彼女に憧れたように、彼女が当時憧れたモダンジャズピアノの開祖・バドパウエルの人気曲、それを穐吉らしくバースの前奏を付加したアレンジで、彼女らしい。ともあれ久しぶりのFM,自分がやっていた時よりはるかに楽しいものでした。ありがとう!北Gさん、佐野より子さん。

幸遊記NO.571 「般若心経の淳子ちゃん体操」2021.12.27.盛岡タイムス
 「世界一ポピュラーな、あの般若心経が口ずさめる歌になった!テクノとお経の新鮮なコラボレーション。自分の唄声で、般若心経の和訓や、般若心経を経心若般と全文を読みうたう(逆説)など、テクノ音楽をバックに録音したのは1997年のこと、それから12年の歳月をかけ初CD化(照井顯&テクノ楽団)。今年はまた、その発売から12年(計24年)の歳月がたったなと思っていたら、先日、紫波町在住の佐藤淳子さん(79)から電話あり、何人かCDが欲しい人が居るからと、手土産持参でご来店。
 彼女の話によると、数年前から、僕のCD「般若心経」を使い、誰でも踊れる、椅子に座ってでも出来る簡単な振り付けをして、“ジャズダンス”(淳子ちゃん体操)に取り入れているとの事。「地元の紫波、矢巾、盛岡、雫石、等々、JAいわて家の光講師、盛岡保険推進員、紫波社会体育指導員、などやってきたけどね、田野畑村に生まれた山猿ですよ」と笑う彼女。県立岩泉高校を卒業して玉川大学の通信教育や岩手大学の聴講生として学んだ人。結婚してからはご主人(自衛官)の仕事で全国を回り、14回目の転勤で岩手に戻ったのは平成6年(1994)。
 最近紫波第一中学校でのスポーツチャンバラの準備体操であれやったら、リズムに乗りやすいと生徒たちに喜ばれたといって僕をも喜ばせてくれました。
 その般若心経CDジャケットの仏像写真は、それこそ昨2020年に360年振りの大修理を終えた二戸市浄法寺町・天台寺の慈愛に満ちた大きな仏像のお顔だった。そのお陰なのかインターネット上でも聴けるようにして頂いている東京のウルトラヴァイヴ社から、毎月、デシタルコンテツ売上報告書というものがパソコンに届くのですが、昨年、今年のApple Music 、iTunes Cloud、AMAZONPRIM、同UNLIMTED、YOUTUBU、dヒッツサイト、等でのサブスクリプション(音楽定期購読)による、僕の般若心経歌?を聴くためのアクセス数が、日本でも世界中からも、以前とは比べられないくらい増えていることに驚いています。とはいえ一回当たり円以下の銭単位なので、せいぜい何百円なのですが、コロナ禍が始まった昨年から今年と急上昇しているのです。拝!

幸遊記NO.570 「akiyoshi-jazz.com」2021.12.20.盛岡タイムス
 我らが天使・穐吉敏子さんが92歳の誕生日を迎える日「12月12日(日曜日)は盛岡中央郵便局午前中で窓口が閉まるよ!」と女房。何としても間に合わせようと、前夜は完徹しての郵便発送準備に全集中、おおわらわ。窓口が〆切の昼、12時、といえば、いつだったか穐吉さんのお姉さんから直接聞いた話が浮かんだ。「敏子が生まれたのは、昼の12時でしたよ」と。「12月12日12時!おお!ジョニー、ジョニー、ジョニー時!」と僕は叫んだ!
 郵便物は、いわずもがな「2022年10月オープンする穐吉敏子ジャズミュージアムの実現に向けて」の案内パンフ。トシコさんのプロフィールと、盛岡バスセンター内「ホテル・マザリウム」のロビーに開設するミュージアムに関することや、共感支援寄付金の募集(お願い)と、穐吉さん関連の資料のご寄付、無償使用の募集案内。
 そしてもう一つのパンフは、1963年の高校一年生時に、同級生から見せられて読んだシングル盤レコード(45RPM)の歌詞「みんな名もなく貧しいけれど」に始まってから今日までの、僕の音楽ストーリー。とはいえ1974年から来年の2022に至る「穐吉敏子ジャズミュージアムへの旅」と題した僕からの手紙。翌日から、届いたよ!読んだよ!泣けたよ!生きていたか!自分の友達にも知らせるよ!パンフをもっとくれ!オープンしたら行く!早速振り込んだからね!などなど様々なメールや電話が次々届く。嬉しいなあ。
 発送と同時に公開した、「NPO法人・穐吉敏子ジャズミュージアム」のホームページは、紫波町の北田唯さんが作ってくれたもので中々の評。僕のフェイスブック「ジョニー照井顕」で開けば、開運橋のジョニーと穐吉敏子ジャズミュージアムのホームページアドレスがあり、タッチすれば、どちらもすぐ見られるようになりました。ジョニーのホームページについてはこの幸遊記(№565/11/19付)に書きましたが、ミュージアムの方の「エピソード」欄には2009年1月から2010年12月まで本紙・盛岡タイムスに100回書かせて頂いた、あの「トシコズ・ドリーム」を第一回の「開運の橋を渡る」から随時掲載し始めましたので、少しずつでもお読みいただけたら嬉しいです。ご感想や、ご意見などホームページからでも送れますので、どんなことでも、気兼ねなく交流できることを願っておりますので呉々(暮々)もよろしくお願い致します。Eメールakiyoshi.jazz.m@gmail.comです。

幸遊記NO.569 「花坂吉兵衛の相撲講本」2021.12.12.盛岡タイムス
 「穐吉敏子ジャズミュージアムに、役立つかも?。双葉山(穐吉定次)が盛岡に来たこと知ってるか?」とOさんからの電話だった。後日、彼が最近見つけたという「ああ青春、盛岡第一高等学校白亜外史」(毎日新聞盛岡支局)昭和53(1978)年本の中から、その部分をコピーしてくれた。嬉し!
 「戦後まだ間もない頃、人々は娯楽に飢えていた。双葉山の一行が興行相撲。現教育会館あたり、一代の名横綱を一目見ようと黒山の人だかり。だが彼以上に観衆の視線を集めたのは、土俵上で双葉山と四つに組んだ小柄な男だった!」と。その不世出の大横綱(時津風親方)は、男に対しこう言ったという。「先生の胸を借りて稽古したいものです」。その言葉は男にとって生涯忘れられぬ思い出となった。
 男とは宮古出身花坂吉兵衛(1898~1967)。旧制盛岡中学校相撲部から大正6年角界入り、同15年幕下二枚目で引退し、海軍兵学校相撲教員兼参考図書館勤務を経て、昭和10年(1935)「相撲講本」を刊行。(医学博士・軍医・広島県高田郡可愛村“現・安芸高田市”出身の枡岡智・共著・岩手県立図書館蔵)それによれば、相撲道48手中「忍」の一手に勝つものなき定説。心技体の一致「心を修め、気を養い、体を斎(ととのえ)る」。これが国民精神たる相撲道(国技)の最高指導原理であると。昔から、口伝、伝承あるが、学問的成書が皆無だったことからの資料収集調査研究は、時の内務大臣・後藤文夫氏にして「その苦心の跡歴然たるを観る」であった。
 「古代人類発達史から見ると、体育方法として見られるのはエジプトの角力と球遊び絵。アジア・ニネーベの角力壁画。ペルシャ、ギリシャの武を練る基礎教育。蒙古の形式」など。さて日本は、、、、と。ここで思い浮かぶはペリー日本来航上陸時・米俵両手に一個ずつ持ち運ぶ力士たちの図であるが、奈良時代に相撲作法が定められ、その目的は天下泰平穀物成就の祭典に相撲を取らせた。それは角力の二字が悪事の端をなすとの理由から「相撲」の字、いわゆる「神相撲方式」勝負終われば互いに礼を以って退き、遺恨なきことを示さなければならんと。
 それこそ大横綱・白鵬が破竹の63連勝した2011年、引退の今年2021年、再び注目浴びたのは、第35代横綱・双葉山(穐吉敏子さんの親戚)。勝つためにだけを目的とした手段を一切用いぬ求道・泰然如木鶏での69連勝。70連勝を阻まれた安芸の海には、その後、引退までの5年間1度も負けたことはく、千秋(穐)楽はほとんどが白星であった。

幸遊記NO.568 「SP・蓄音機・佐藤安蔵」2021.12.6.盛岡タイムス
 今年2021は随分と昔のSPレコードに縁のある年でした。年2回の紫波蚕の市で見つけたペレスプラードの「セントルイス・ブルース」、フランクシナトラの「愛の泉」、そして淡谷のり子、四家文子の歌。そうかと思えば、又、紫波町のF子さんから、人づてに届けられた3枚入り2セット、コロムビアSPアルバム。第1集、スチールギター。ワイキキセレナーダーズ「素敵なあなた」。第4集、ハリージェイムス「アメリカン・ヒット・ジャズ」ワーオッ!思わず声が出た。
 すると今度は、昔からジャズが好きなんですけど、ジャズ喫茶はどこの店にも入ったことがないんです!と言って、ちょくちょく開運橋のジョニーに来るようになった盛岡市のY子さん。骨董市で見つけたと20枚余りのピッカピカの新品状態のSPレコード持参。その音の良さに驚く。ダイナショア「青いカナリア」、ナットキングコール「プリテンド」、「トウヤング」、ハリーベラフォンテ「日の当たる島」、ジョースタッフォード「霧のロンドン」、フランキーレイン「OK牧場の決闘」、「吹き荒ぶ風」など、ジャリジャリ音のない自然音。
 1940~50年代製造のこれらのレコードを聴きながら想い出していたのは、岩手・西和賀町の「蓄音機の家」故・佐藤安蔵さんのこと。平盤最初の片面だけのSPレコードはもちろん、明治から今日までのあらゆるジャンルの音を、自分で設計、製作した真空管アンプで鳴らしてくれた。そのアンプ、昔の木桶や足付御膳、おぼん、などに組んでスイッチを入れれば真空管に灯がともり、まるで夢の中のごちそうのような美映え。昔のTVケース利用の、ジオラマアンプなどユーモアにあふれて楽しかった。
 昭和のレトロ音楽流れ来る中で、安蔵さんの話を聴けば、音楽を聴く環境がいかに大事か、そして、自分なりの健康管理法を貫いて生きる事、「体を使う、頭を使う、心を磨く」の3点を毎日続けることだと、雪かきをし、アンプの設計図をいくつも書き、因果を知らざる者は邪けん!と自分の病いの原因を追求し、つきとめたならば自ら取りのぞくことをし、日常生活をあやまらぬ様に務め、若説俗間経書治世語言資生業等皆順正法を毎日読書き、過去、現世、来世、昔の結果が現在なのだと言った人。昭和4年(我らがジャズの穐吉敏子さんと同じ1929)8月15日生まれ(90才頃?没)でした。

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