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「定点観測に来ました」そう言って開運橋のジョニーに現れては、店のベランダから、写真を撮り続けている田中三郎さん(59)は、大学時代コーラスをやっていて、当時はデュークエイセスみたいな歌をやっていたと、随分前にカセットテープを聴かせてもらったことがあった。それが予想以上にうまかったので記憶に残った。ところが、先月(2015年7月)何と、その35年前の学生達がジョニーで“うたごえ喫茶”を開催したのである。
それは、岩手大学うたごえサークル・昭和55年卒、近辺かつ岩手近隣のなかま達+Oneによる同窓会というもの。その幹事が田中さんだった。アコーディオン、ベース、ギター、ピアノ担当の4人が、メンバーからリクエストされた曲を次から次へと演奏し、それを全員でリハ無しの、ヨーイドン!で唄うのだった。しかもリクエストした人が順番にその曲をうたう前に、それこそ、それぞれの現在をしゃべってから、みんなでうたう楽しい会でした。 話を聞けば昔とったキネヅカながら、まるで現在進行形のようにピッタリと合う不思議。「岩大学生歌」に始まり「花を送ろう」まで10数曲、2時間の音楽同窓会、しかも皆当時のニックネームで呼び合う親しさ。オイドンと呼ばれる田中さんは九州福岡に生まれ、小学時代に札幌へ、6才上の兄も岩大だったので自分もわざと?北大落ちて予備校から岩大農学部へ入学、林学科を卒業。国土防災技術(株)に入社。途中造園研究所に出てみたが、又前の会社に笑顔で出戻り。 東京に7年いたうちの2年間、大宮から大船まで「京浜東北線」の46駅全てに下りて街を歩き撮りためた写真をペンタックスギャラリーに応募したら、なんと2011年3月11日の午前中に、「選ばれました」と電話があった。だが午後にはあの大震災。それでも何とか9月に発表することが出来たのだったと言う。現在は同社盛岡支店勤務となり、昨年は盛岡「ソルナ」で盛岡での写真を展示し好評だった。写真歴もすでに15年になる。振り返れば今年94才で亡くなった彼の父・俊雄さんも写真好きな人で、昔、上から覗く二眼レフカメラで撮ってた光景を想い出すという。
千葉県大網白里市のジャズシンガー・石橋未由子さんをリーダーとする女性ジャズコーラス「シビリィ」の伴奏者として昨2014年6月、開運橋のジョニーへ初登場したギタリスト・堀江洋賀(ひろよし)さん(31)。その時、余興的に彼のギターで唄わせて貰った盛岡在住のジャズシンガー・金本麻里さん(36)と意気投合し、昨年今年と、東京、神奈川、千葉、福島、宮城、岩手、青森などをデュオでツアーをし、特にも今年のツアーは、その先々で好評を得たのでした。
その堀江さんは、船橋市に生まれ10才と8才上の兄二人のドラムとギターに感化され、小学6年卒業時の文集に「ギタリストになりたい」と書いたほど。中学ではすでにギター、ベース、ドラムにボーカルという編成のバンドを結成。Jポップやロックをやり船橋柴山高校時代には、ファミコンを使って作曲も手掛け、打ち込みとギターによる重ね録りを一所懸命やったという。最近こそギター曲も聴くが、以前はピアノ、サックス、トランペットなどを聴き、ピアニストに憧れてのプロ入りだった。 「2011年に詩人・谷川俊太郎氏の息子で、ピアニストの谷川賢作さんから紹介されたのが石橋未由子さんだった。そこからコーラスのメンバーである盛岡出身の望月美咲さん繋がりで、盛岡に来て、開運橋のジョニーで金本さんと出会い、こうして2度ものツアーが出来た!」と、人の縁に感謝する彼。「ジャズギターは、どこか不器用な楽器で、中途半端的なポジションに居る様な感じなので、逆に自分の実力をわきまえられるのが良く、それでも他の楽器では出来ない表現を出せる楽器でもある」のだという。 最近はピアノとのデュオにボーカル。ギターとギターのデュオ、唄とギター、そしてたまにバンドでの演奏という、若いのでジャンルにこだわらない演奏活動をしている彼だが、今最も楽しく演れているのが尾崎琢也のピアノ、宇山満隆のドラム、自分のギター、という編成のトリオだという。「今回の麻里さんとのデュオでは、お互い手の内がわかるようになったことで柔軟さや繊細さ、自由さが出ているんじゃないかと、思うゆとりが感じられて、やりたいことをセーブしながら、きちっと出来たのではないか」と語る。
1ヶ月に2週間、地方のデパートイベントで、食品販売の仕事をしている片岡泰英さん(通称・敏“ビン”57)は「今回宮城の物産“アナゴの一本巻”を売りに、数年振りに盛岡に来ました。新しいジョニー音が良くて、なごめるなあ」そう言いながら、ジャズとウイスキーを楽しんでくれた彼。
そういえば、その数年前「このスピーカー何とかなりますかね」と彼は“腐っても鯛”のJBLスピーカーを店に運んできた。箱はふやけて使える状態になくスピーカーのエッジは風化でボロボロ、ダンパーはゆがみ、磁石は錆びて、はずれ、箱の中に落ちていた。それでもコイルは生きていたので直してみたが正常に動かぬ音割れであきらめかけそのまま数年間放置した。ところが最近、お客さんから頼まれた古いスピーカーの修理をしたついでに、再度挑戦し直したらこれが何と甦り、良い音なので店のSPに追加して鳴らし始めたところに彼はやって来た。凄いタイミング!。そして音とその修理話に涙を流した。 彼は、地方のジャズ喫茶歩きが大好きで、盛岡に来れば必ず僕の店にも寄ってくれるのだ。生まれは名古屋、祖父から泰の字、母から姓。父方の親戚のいる宮城で育ち仙台育英学園高校を卒業して東京農大へ入ろうとしたが2浪。予備校に通いながら運送会社で夜中の仕分仕事に従事、その後新聞広告で1日2万円のスーパー店頭販売に飛びついて頑張り、あの名車コルベットを買い、父とマンションも買ったりはしたが「お金は音楽に使うのが一番尊いということがわかった」という。 昔日に、家にあったアンサンブルステレオで両親が聴いていた、美空ひばりのジャズやアート・ブレイキーのバードランドの夜などが記憶の中にあり、それがもとでジャズを聴くようになった。葛飾に住んでいた時、金町にあった「ジャズ38」に通っていたら、マスターの故・早井敏成さんが、照れながら「穐吉敏子さんが来る。やっと店も一流になれる」と、本当に幸せそうに言って泣いたという。「その穐吉さんが入って来た瞬間、彼女の放つ素粒子のオーラに包まれ視線までが光っていた。ギュウギュウ詰めで聴いたそのライブは最高でした」。以来彼は穐吉ファンになり、時折、穐吉さんの好きなヴィンテージワインを持参して聴きに行く。
「ココアを飲みながら、ここに座って景色を眺めると、まるで外国にでも来たようです。ママの小春さんも外人さんみたいだし」と溢れる笑顔で話す佐藤文子さん(82才)。「家の中で振り向こうとして転び、腰を骨折。寝込んでから歩行困難になったけどジョニーに来たい一心でリハビリをし、歩ける様になった」と、杖を使い息子さん夫婦と一緒に、ニコニコ、ニコニコ、えみを浮かべながらやって来る。
息子の潤さんと音楽を通して知り合った1993、4年頃、彼の家を訪れた時、玄関に飾ってあった「刻字」の素晴らしさに大感動。問えば作者は彼の母・文子さん。作品の朱印字の刻みは、父・勇さん(86・篆刻家)の担当。文子さんは恵翠(けいすい)という雅号を持つ書道教室「恵翠書院」の先生であり、刻字作家でありました。 その1990年代、僕は陸前高田大町商店街が開設した「まちかどギャラリー」の展示企画を手伝っていたこともあって、恵翠さんに何度も展示のお願いをしたものでしたが「私如きではね」と、断られ続けた。それでも一家で陸前高田の僕の店まで来てくれたこともありましたが、個展は出来ずじまいでした。そんなことから、実は最近、開運橋のジョニーの壁を利用した、店内ギャラリーを開設したので、20年越しの想いを是非実現させて欲しいと頼み込んだら、「いまだにそう言うんじゃ仕方ないね」と、佐藤恵翠さん初めての「刻字作品展」の承諾を頂きました。何という嬉しさでありましょう。 佐藤恵翠さんはぜんそくを患いながらも30代の末に、県書道界の第一人者・吉丸竹軒氏に師事、北日本書道専門学院の第一回卒業生として世に出たのでした。それまでは近所の子供達に無料で教えていた彼女だったが、竹軒氏が揮毫してくれた「恵翠書院」の看板を掲げてからの塾は今年で丁度40年。刻字は、毎日展の審査員だった一関の千田得所氏に50代から師事し、先生が亡くなるまでの13年間、無我夢中で書き彫った作品。「敬不忘」「嘉福成基」家の玄関に掲げられている作品には宅配のお兄さんでさえも「こんな素晴らしい作品に出合ったことはまずありません」と感動して帰る程である。2015年8月1ヶ月間の展示会楽しみです。
「6月定年なんだよね。だけど、今、出向先の会社でもう少し居てくれっていうから、もう半年いることになってさ」と金沢から時折帰って来ては僕の店に寄ってくれる浅香満さん。その半年という言葉の裏側には、これまで金沢で探し楽しんで来たジャズの店を、もう少し深く味わいたいのだろうなと僕には感じられた。何せ彼は盛岡に帰って来るたび、僕に金沢のジャズの楽しさを教えてくれてきたし、盛岡の友を金沢まで連れて行き一緒にジャズを楽しんだりもして来た程の根っからのジャズファンなのだ。こういうジャズファンを僕は一番に尊敬してしまう。
そんな彼がある夜、初めてリクエストしたのは、ジョン・コルトレーン(1926~1967)の「至上の愛」だった。テナー・サックス、ソプラノ・サックス奏者のジョンが、何とラブ・スプリーム、ラブ・スプリームと自ら歌っているレコードであり彼の頂点となった作品。「僕にとってコルトレーンは神様だった。彼がいたからジャズが好きになったのよ」ジョニードラム(バーボンウイスキー)を美味しそうに飲みながらそう僕に言った彼。 「自分の娘・里恵(昭和62年生まれ)が3才になった時ヤマハに連れてってさ、ピアノを習わせたの。そしたら、うたったり、おどったり、喜んでさ、俺が毎週送って終るまで待っている時、聴こえてくる話や音が、自分の勉強にもなったのよ」と笑った顔も最高だった。その娘さんが中学生の頃、家では自分の妹、弟、そして親たちにまで何かの音を出させて、それを聴き分けピアノの音で再現する絶対音階遊びをしていたという。 「ジョニーに聴いて貰いたくてさ!ユーチューブからの音源だけど」と一枚のCDRを浅香さんから渡されたのは2012年の2月だった「Tifon」というそれは浅香さんの娘、里恵さんのピアノと竹中志穂さん(フルート)の二重奏ライブ。その12曲中4曲は里恵さんの作曲。すばらしい能力を持った娘であることに驚き感激しうれしくなって生演奏を聴き、昨2014年の第8回あづまね山麓オータムジャズ祭に彼女のトリオで出演してもらったら、聴衆を大興奮させる圧倒的な演奏を繰り広げ、デビューCDが売り切れたのでした。 |
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