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昔から11月3日は「文化の日」と決まっているが、最近は「レコードの日」とも言うらしい!文化を代表するものがレコードであるとしたのなら、1978年30才の時に意を決してレコード制作を始めた僕にとっては尚更、嬉しい呼び名となった。
2015年11月4日、FM岩手、石田麻衣アナが読み上げた3日付読売新聞トピックス「アナログレコードの人気がじわりと復活しています。デジタル全盛の時代に温かみのある音色が見直され、若い世代にも愛好者が広がっています、、、。昨年8月には東京渋谷にレコード店が復活、8万点の品揃え。レコードプレーヤーと一緒に買い求める人達も、、、」。 1877年12月6日「メリーサンノヒツジ」と歌ったエジソンの声が、彼が書いた設計図に従ってジョン・クルーシーが作った“円筒式錫箔録音再生装置”から流れ出たことに端を発するレコードの歴史。だがその8ヶ月前、パリの科学アカデミーに詩人・シャルル・クロが提出した封書の中にはエッチング的な写真技術を使った平らな円盤で、複製すら可能な現レコードの祖となる様なアイディアが書かれていたという。 実際に平盤型が考案されグラモフォンと名付けられたのは10年後の1887年。現在のLPレコードは1948年(昭和23年)からで、ピーク時1980年は約2億枚をプレス。82年登場のCDは5年でLPを抜き、各メーカーは一斉にレコード製造を止めたが、唯一残ったレコード生産工場「東洋化成」(横浜)は今、フル稼働しても追いつかぬ程の勢いを取り戻しているという。レコード針のナガオカ(山形)で今、月産20万本近い生産という。 そして今夜(2015年11月13日)ジャズファン、牛崎隆さん(68)が持参したLPに驚き、その再生音にド肝を抜いた。ジャケットには「oreloB」のタイトル。逆から読むとあのモーリス・ラベル作曲の「ボレロ」であった。何とそのレコード、信じ難いことに内側から外側へ向って溝が刻まれている。これまでのレコードとはまったく逆の発想でドイツ製造され、「TACET」が発売した、カリオ・リッジ指揮、ネザーランド・フィルハーモニックオーケストラの演奏。録音は2012年3月、4月。理にかなった史上最高の再生音に大感動!!
先月(2015年10月18日)台東区上野の東京文化会館が主催した「プラチナ・シリーズ2・秋(穐)吉敏子・JAZZ・LIVE」の見聞と昨年リリースとなった「1980・秋吉敏子・IN・陸前高田」のCD販促の手伝いをしに、朝一番の新幹線はやてに乗り上京した。
開演までの数時間、大好きな神保町の古本屋街ヘ。ポツポツと開店し始めた午前10時半頃、矢口書店の外にある本棚を眺めていたら、TVカメラを担いだ人達3人が僕に寄って来て、どんな本をお探しですか?何処から来ました?何をなさっている方ですか?とか、色々質問され、店内に入っても外から撮影していたみたいで、レジの前に立ったら店内に入って来て、お会計場面撮影。外へ出て、買い上げた本のことを問われて、説明やチョイ朗読をした。 撮影者から渡された名刺にはNHK「72時間」というドキュメンタリー番組名と放送日時が印刷されていた。それによると来る12月4日の夜、22時55分から23時20分までの放送。3日間(72時間)の定点観測を25分にまとめての放送らしく、もしかしたらチラリと僕も映るかも?。 その古書店にて見つけたものは、奥州市出身のシンガーソングライター・松本哲也さんと亡き母・扶美江さんとの親子の絆を描いて話題となった映画「しあわせカモン」(中村大哉監督、脚本。2009年秋公開上映)の企画制作・(株)アルファコアのシナリオ(第2稿)。それと「ウナセラディ東京」(番匠義彰・監督、山根優一郎・脚本)1965年松竹作品。の撮影稿と思われる調音担当の吉田庄太郎氏が実際に使用し本人の書き込みが随所にある台本。 「哀しいこともないのになぜか涙がにじむウナセラディ東京ンン」ザ・ピーナッツの歌声が頭をよぎる。「ウナセラディ東京」とは「たそがれの東京」という意味でありますとの注書があり、そうか!と50年後の昼近くに初めて知った僕。そして85年の松竹映画「ジャズ大名」(筒井康隆原作、岡本喜八・脚本、監督)の江戸時代末期の音楽好きな駿河の国の大名物語パンフレットを入手。ペリーが日本から持ち帰った邪頭(邪図)がJASSの国アメリカでJAZZと呼ばれ育ち、のち日本に逆輸入の説が僕の頭に甦った。
今年(2015)の5月。ブナの森を夫婦で訪ね歩き、その大木の根元に下向き(ひたむき?)に咲くカタクリの花を描いた50号の油絵「早春の妖精」(全国選抜作家展2012で大賞受賞)の作品等を、開運橋のジョニーに飾ってくれた油絵作家・伊東美砂代さん(兵庫県芦屋市)と、毎日新聞盛岡支局に5月に赴任したばかりの新人記者・藤井朋子さん(兵庫県高砂市)が偶然、岩手県西和賀町の安ヶ原のカタクリ群生地で出会った。
そこで2人は変種と見られる真白いカタクリの花に遭遇!。その初出合いを初記事とした藤井さんは、後日、油絵のカタクリを観にジョニーに来てその話したので「ウッヒョー!ゴみたい!」と僕。以来時折店にやって来る彼女。僕から聞いた情報を元に取材し記事にしたと新聞を届けてくれたのは「学校の 図書庫の裏の 秋の草 黄なる花咲きし 今も名知らず」と石川啄木が詠んだ、旧制盛岡中図書庫のことを書いた「みちのく建物探訪」7月5日付だった。 同庫は明治25年(1892)に建てられた15坪の土蔵。大正6年(1917)の旧制中学校舎移転後、蔵はそのまま旧日赤病院倉庫として活用されたのち、解体の話しを聞きつけた菊池武男さん(93才、当時宮古市在住公務員・現画家)が寄生木保存会への橋渡し役となって蔵を貰い受け、宮古市山口に「寄生木記念館」昭和44年(1969)として再生。その名の小説「寄生木」は明治42年(1909)12月、東京警醒社から発行。徳富蘆(ろ)花(本名は健次郎)著となっていたが、本当の著者は陸中山口村生まれの篠原良平(本名小笠原善平。出版の前年自殺)。 明治大正昭和を通じて小説はベストセラーとなり、劇化や歌ともなった。その記念館は2010年山口公民館に移されたことから、今度は盛岡まちなみ研究会が解体搬送し、再度盛岡(鉈屋町)に移築。今度は「日本映画史上屈指のグラマー女優」三原洋子(鉈屋町出身)記念館?となるらしい。 藤井朋子さんは加古川西高校から神戸市外語大学へ進み、ロシア語を専攻。ロシア語通訳者・米原万里さんのエッセーを読み、その考え方に魅かれ大学を休学して4回もロシアへ渡り体験勉強。それが元となってか全国いろんなところに行ける、いろんな人に会える!と新聞記者になったそうです。
久し振りにホールでの小さなコンサートを主催した。所は盛岡劇場の地下タウンホール。時は2015年10月23日(金)。題して「オータム・ジャズ・ナイト」。出演・金本麻里、絵美夏、熊谷絵美の3人によるボーカル。ピアノは高橋秀、玉澤裕子。ベースが高橋勝親、杉本敏行。ドラムを澤口良司、葛西良治。そしてサックスに黒江俊、村上衛。聴衆80名。その中には、今もってオーラを感じさせる前盛岡市長の桑島氏の姿もありました。
歌手は、ジョニー・キャリアの浅い順に金本麻里からのスタート。彼女がジョニーに登場したのは2006年。青二才(ささきまこと&うちだいくお)のポップスデュオにバックコーラスで参加した時、その声とリズム感の良さにいたく感激してジャズに誘い、同年12月23日にジョニーで開催した「メリークリスマス&フジワラまつり」藤原建夫(p)スイングタイム。藤原章雄(ds)ミックスナッツの出演時に藤原建夫氏に頼んで、バンドでゴスペルを唄ったのが始まり、今や横浜ジャズプロムナードの一輪の花である。 2番手、絵美夏はその頃すでに北島貞紀氏(p)のピアノトリオでジョニーにレギュラー出演していた。彼女は20才の頃、僕の店ジョニーに自分を売り込みに来た娘で、持参したMDをバックに歌を披露し僕らを驚かせた程、すでにポップスの歌唱力を見につけていた。以降バイオリン・シンガーを自称自演。最近は南米パラグアイの楽器「アルパ」(インデアンハープ)を猛勉強。今回のステージではジャズを1曲唄ったきり、他全曲アルパソロを披露。すでに自ら切り拓いた海外での演奏経験も豊富である。 トリを務めたのはエミちゃんこと熊谷絵美。彼女の父・利春さん(2003・4・18没)とは独身時代からの友人だった。2001年、家族全員で穐吉敏子ライブに来て、娘絵美を歌手にさせたいのだと僕に語り、絵美ちゃん岩大生時代の2002年、彼はハモンドオルガンの鈴木清勝氏を呼んでジョニーで歌手デビューさせCDにもした。そしてジョニーにレギュラー出演ののち子育てブランクを経て久々の晴れ舞台。彼女の母・幸子さんは真赤なバラの花束を僕に置いていってくれた。3人の歌手は共に30代、未来大輪の花になれ!
今年で9回目を迎えた、岩手あづまね山麓オータムジャズ祭(2015)で、それこそ結成9年のピアノとDJ・DUOの世にも希なるサウンドに乗せて、盛岡生まれのジャズシンガー・金本麻里を鼓舞させた、オールラウンドピアニスト・富樫春生さん(62)には、06年から、開運橋のジョニー、そしてオータムジャズ祭へと,幾度となく東京から来演いただいてきた。
3才からクラシックピアノを習いジャズは独学という彼は、高校時代にライトミュージックコンテストの関東甲信越大会で特別賞。慶応義塾大学商学部に入学するもジャズばっかりの毎日で、そのままギターの杉本喜代志クインテットでプロデビュー。70~80年代はスタジオワークに没頭。録音に携わった曲数は万を数え、山口百恵、松田聖子、今井美樹、SMAP等ビックアーティストも数えればきりがない。 バンドでは吉田美奈子、後藤次利、近藤等則などに参加し3万人規模のフェスティバルまでの経験を持つ人だが、レコードデビューは27才(1974年)ソニーからの「チョコレート」でだった。以降37枚のリーダーアルバムを発表。なかでも1月から12月までのピアノソングス。それぞれの月に似合うトラディッショナル曲.唱歌や童謡。そして自らのオリジナル曲をまじえて録音した12枚「1月の天使」から「12月の天使」までをシリーズ作品としてリリースしたことは、内容からして音楽史上、特筆に価するものであると僕は思う。 「音楽をやるのは楽しいが、仕事としてのバランスはむずかしい」という彼。富樫さんは結局やりたいことだけをやってきて今があるのだからまわりも本当の自分に目覚めてくれたら嬉しいのだと。民族の起源「That I am(我は神)」本当の壁は自分の心にあり、心のあり方が変われば難なく通り抜けられるというサジェスチョン。地球人というタガを取り払って宇宙を旅するみたいな自分でいたいのだと。 「天使が君の心をめがけて降らした雪。魂を誘い出すように舞い落ちる雪。それは哀しみを燃やし尽すための真っ白な炎。冷たい闇を照らすため天使が撒いた音符の形のクリスタル(聖六角形)、、、、、。」まもなく彼の詩の季節がやってくる。 |
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