盛岡のCafeJazz 開運橋のジョニー 照井顕(てるい けん)

Cafe Jazz 開運橋のジョニー
〒020-0026
盛岡市開運橋通5-9-4F
(開運橋際・MKビル)
TEL/FAX:019-656-8220
OPEN:(火・水)11:00~23:00

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幸遊記NO.263 「村井秀児のミスターベースマン」2016.1.25.盛岡タイムス
 皆が愛を込めて「シュウチャン」と呼ぶベーシスト村井秀児さん(1949年12月5日生れの66才B型)。今も時折本紙盛岡タイムスの出版物案内で紹介される「あの頃僕はバンドマンだった(北島貞紀著・2007年初版)」の北島さんが20年の封印を解き、「開運橋のジョニー」で毎月ライブをやり、初アルバム「アフタヌーンティー」CDをリリースした時も北島トリオでベースを弾いていたのが「シュウチャン」だった。
 ジャズベーシストといえば大きなウッドベースを想像するが、彼はめずらしくエレキベース専門の人である。ピアノの北島さんは大阪で立ちんぼう(音を出さなくていい)ベースから始めたバンドマンだった様だが、ベースのシュウちゃんはピアノのオーディションから始め、ギター、そしてベースで定着したバンドマンだったらしい。
 「アンプのスイッチを切ったまま立ってるだけのベースマン(ベースラインはピアノが弾く)北G(島)より4年も早い、元祖?立ちんぼうだったんだよね!」そう言いながら彼は、北島さんの本ならぬ「秀ちゃんのあの頃僕は・・・・」的な一冊の手書きコピー本を僕に差し出したのは2015年4月。表紙のコピー写真は今の本人から想像できない髪型と口ヒゲのお兄さん。「盛岡下小路中学一年の時の英語代理教員・沢藤精子さんの、今でいう歌で覚える英語の学習といった先進の授業内容」から、詩(歌)へ音楽へと入って行った彼の様子に納得した。盛岡三高から専門学校へ入学した彼は、立ちんぼうから叩き上げのベースマンとなり13年もの間、プロとして京都で活躍していた時期に「ウエストロード・ブルースバンド」「村八分」「RCサクセション」「スラッシュ」「キャロル」等々の創生期あたりの彼等とバンドでの接点があった様子が面白く綴られていた。
 盛岡に戻ってからは故・阿部哲(ハーモニカ)らと一緒に大船渡でのブルースコンサートに来て僕が司会した記憶。40代からクリーニングの営業を18年やりながらのバンド活動、定年後には警備会社に務めながら、現在は6つのバンドで以前にも増してハツラツとベースを弾く秀れたミスターベースマンである。

幸遊記NO.262 「水本義美の青春時代」2016.1.18.盛岡タイムス
 かつて盛岡の音楽シーンの中心を担った「東山堂楽器店」には凄腕のプロデューサーがいた。その人の名は小川道子。今は札幌に居るらしいが、夜間の杜陵高校を出た方で、彼女抜きにして盛岡の音楽史は語れない!と、熱く僕に語るのは、かつて東山堂で働いていた水本義美さん(67)。彼は今東京でタクシーを運転しているという。
 彼が開店間もなかった僕の店に現れたのは東山堂が主催するコンサートや映画「真夏の夜のジャズ」上映会などの宣伝の為だったから1970年代中頃。以来様々なシーンで出会い続けてきたが、彼は岩手高校から東海大学文学部日本文学科へと進み、出身が盛岡、八戸、新潟の文学生同士で組んだバンド「花古事記」の人気が高くて、ナベプロからお声が掛かった程だったらしい。
 卒後盛岡に戻り東山堂に入社したのはあの伝説のカーメンマクレー、カウントベイシー共演の1973年11月18日開催(幸遊記№191)直前の10月だったという。コンサート当日は大雪で彼女らが駅に着いたのは開演時間を過ぎてしまった6時30分、しかも楽器や衣装が届かず、ベリーファイン(売り物の楽器)を用意して、彼女は着て来たオーバーコートのままステージへ、チケットは前売りで1500枚を超えギャラは300万だったという。
 僕は昨2015年東京でその時の全国ツアーパンフを入手(何と5000円)それによって先の幸遊記への記述間違いが分かった。前日、会場函館ではなく、札幌厚生年金会館。盛岡の次が秋田県民会館。又21日新宿厚生年金会館のコンサート後と書いたのは渋谷公会堂でした。公演は11月10日茨城から30日宮城まで20公演。招聘元「もんプロダクション」は「神原音楽事務所」(もんプロの故・西陰嘉樹社長は当時神原事務所でジャズを担当していたのでした“1971~74”)と歴史は「論より証拠」を「痛感」した次第。
 水本さんはその後独立「キャノンボール」というジャズレコード店を経営後、CMの仕事につき、のちCMパークを立ち上げたりした人。学生時代にレコード店でバイトした時、加山雄三の妹さんがレコードの注文しに来て、その上原家に届けに行って、彼女にコーヒーをごちそうになったなぁと懐かしむ。

幸遊記NO.261 「年始の合掌・南無阿弥陀仏」2016.1.11.盛岡タイムス
 2016年が始まったばかりだというのにもう二つの訃報。一つは2日、盛岡の片岡政樹さん(69)が、肺ガンで亡くなったという知らせ。アルトサックスを吹き、タバコを吸い、酒を飲んでいたから、こんなに早く先立ったのか?と。僕自身も十数年前にタバコは止めたが、酒は毎日で、身につまされる。彼のお姉さんから聞いた話だが、戒名に使って欲しい3文字を自分で選び託していったという。そして寺の和尚さんは2文字を考え「慈保政楽善居士」と名付けて旅立たせたのです。保は片岡さんの仕事(保険事務所)から。政は自名・政樹から。楽は、大好きな音楽から。その上下に付けられた慈善は、正に仕事以外の仕事であり、趣味であった彼のジャズアルト奏者としての慈愛なる善行であったことを物語っていると思った。
 彼が僕の店、開運橋のジョニーで演奏を始めたのは2002年から。2004年1月14日に僕の店にTVの取材が入るというので、彼が北島貞紀(p)さんとバンドを組んで出演してくれたことをつい昨日の様に想い出してしまうのだ。それがきっかけで翌月からは定期演奏。後にJW5という各パート2名の10人編成バンドを立ち上げ、さらには月1のセッションを企画し、若いミュージシャンたちを育て、プロとして飛び立つきっかけを作った立役者。穐吉敏子さんの前夫・故チャーリーマリアーノ(as)を敬愛し、店に来るといつも彼のレコードをリクエストした。又僕は彼のサックスソロをFMで放送したこともあり、彼の笑顔とスキャットはいつもジャズだった。
 二つ目は7日、陸前高田の遠野芳明さん(54)が亡くなったとの知らせ。彼は、僕が陸前高田から盛岡へ来た時、半年あまり店を手伝ってくれた人。もし店が順調に行って軌道に乗ったなら、店を彼にまかせて自分は陸前高田に帰るつもりだった。しかし、店は大変で僕が残り、現在に至った訳なのだ。彼は最近陸前高田に出来たコミニュティホールで働いていると聞き安心していたが、「心芳松信士」となって菅原聡の津軽三味線を聴きながら、地元ミュージシャン達にも見送られての旅立ち。南無阿弥陀仏・・・・・・。
葬式から帰って店を開けたら、最初の客のリクエストが2015年12月31日亡くなったナタリー・コールの歌だった。

幸遊記NO.260 「中村由利子のオルガンと佐藤新三郎」2016.1.4.盛岡タイムス
 佐藤新三郎さん!あけましておめでとうございます。昨年(2015)12月に、電話でお願いしたCD“天に響け”をすぐに買い求め送って頂きありがとうございました。届くと同時に何度も繰り返し聴きました。新三郎さんも、その時電話で「CDが陸前高田に届いた時、封を切って最初に買ったのは俺だった」と言っていましたので、僕も新三郎さんに頼んだ縁を大変嬉しく思いました。なので、これをしたためています。
 2011年3月11日の大津波で被災した、陸前高田市立博物館所蔵海保製リードオルガンが修復され、その音色を録音したCDが完成。先行販売が陸前高田市で始まったとの新聞記事を読んだのは昨年の夏でした。オルガンは1931(昭和6年)に村上斐(あや・1887~1969)さんが設立した私立高田幼稚園で1968年に市立となるまで使用された様子で、斐さん亡き後は子息の村上三吾さん(神奈川在住)が形見として保管していたものを修復して2004年に市に寄贈されたとありました。
 2015年1月から3月まで東京国立博物館で行われた特別展「3・11大津波と文化財の再生」に展示されたそのオルガンを演奏したのが、作曲家でピアニストの中村由利子さん(57才CD“天に響け”の演奏者)で、実は彼女前年の2014年8月に陸前高田市を訪れ、旧生出小学校校舎の現市立博物館にてオルガンを弾きその音色の美しさに魅かれたらしいのです。その演奏をする際に思いをめぐらして作曲したのがタイトル曲の「天に響け」。「月の砂漠」の演奏も心に沁みました。他に陸前高田ゆかりの女優・紺野美沙子の朗読。歌手・白鳥英美子の透明な歌声の讃美歌などが続くCD。収益金は被災文化財の修復保存活動に役立てられるそうですね。
 僕が中村由利子さんのデビューアルバム「風の鏡」を聴き、担当していたFMで放送し、雑誌に紹介文を書き、生演奏を盛岡大通に開店したばかりの「ブルージュ・カフェ」で聴き、そして新聞に連載していた「照井顕のプライベート・インタビュー」にも登場して頂いたのは、1987、8年の事でした。「曲や演奏には情景が浮かんできてストーリーが書けるほどこだわって、ぜいたくなくらい自由にイメージをふくらましてゆきたい」と言っていた彼女の当時の言葉が、今の新三郎さんと重なってしまいます。お元気で!今年もよろしく!

幸遊記NO.259 「モノラル・ステレオ・スリーディー音楽」2015.12.28.盛岡タイムス
 今年(2015)は何回終活という言葉を聞いただろうか?終えて別の世界へ行った人も多かった気がする。世はデジタル万能の時代だが、逆にアナログという言葉も随分と耳にし、頼まれて何年何十年お蔵入りのステレオを何台も再生させて喜ばれた年。時代に逆行する様だが、そうではなく進む時代とともに未来に向って成長してゆく分だけ、それを支える根の様に後へも向進するものなのだ。
 そんな訳で今年は十音さんから頂いた電蓄で78回転のSP盤レコードをよく聴いた。牛崎隆さんが持参した内側から外側へ向って針が逆音溝をトレースする2枚のラベル作曲の音楽も33回転盤の新品ドイツ製LPレコードで聴き感動!。
 岩手出身東京在住の作曲家でコマーシャル音楽を数多く手掛けてきた伊藤カズユキさんが、2012年来渋谷ヒカリエのスイッチルームという立体音空間でサイマル放送してきた、スリーディー(3D)音楽が3DCD化なったのと、彼の盛岡一高時代の同級生・望月美咲さんがその「Hibike」を僕に届けてくれたので、後日上京して彼を訪ねた。銀座にあるスタジオ・モニタールームで拝聴させて貰った立体音像。そこに現れる高雄敦子(英国立音楽院首席卒業。2014年ストラディヴァリウスを貸与された若手バイオリニスト)の音が風の詩となる感動のKISSonix-○R-3DCD体験。
 更には僕の店で9月25日に行われた村田浩(tp)&ザ・バップバンドの演奏を、ダミーヘッドを使用してバイノーラル録音した岩手大学工学部の西山研究室。そこでその音を世界初となる経路同時逆同定方式のトランスオーラルシステム“(株)ARIと共同研究開発した実用的な小型3D音楽2スピーカ再生システム”で聴かせてくれるというので女房と一緒に12月1日、岩大工学部・電気電子・情報システム工学科の西山清教授を訪ね入学?、生徒が操作するそれを聴いて更に驚く!ステレオに向って座った僕の両耳にイヤホンで信号を送り、そのイヤホンに付いているマイクでスピーカーから出る左右の音をキャッチしそれを瞬時にコンピューターが最良のリスニング・ポイントを計算し、立体音を再生するアメイズィングな高臨場感を体験!振り返れば凄い1年でした。

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