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夏が来れば思い出す~という昔の歌あるけれど、雷、鳴ると思い出す人がいる。悟空!こと、イカズチドラマーの野中光政さん(66)大分生まれ。彼は、1985年、1989年と僕等が陸前高田で開いた「日本ジャズ祭」の時、開催日の3日前から、県内各地を走り回るトラックの荷台で上半身ハダカで延々とドラムを叩き続けた男。そのノボリ旗や車のボディ用宣伝幕を書き作ってくれたドラマーな看板屋の故・菊池コージ(幸吉)さん。運転手付きトラックを無償で貸してくれた大和田産業の大和田幸男さん。など思い出す。
それこそ、お釈迦様の持つ如意棒ごとくステックを振りおろす悟空のカミナリドラムはあまねく十方に聴こえ至り、行く先々で犬吠え聴こえ、近づいてドンと叩けば小屋に引っ込む野性的な音。子ども喜び、ご老人は腰抜かし、若者アゼン!止まって叩けば、ビックリする人、逃げる人、興奮する人、笑う人、差し入れする人等、その様まるで走馬灯の様であった。 その直後、富士の山頂にて“悟空雲に乗る”ライブ。逆シルクロードを一人ドラムと旅し、キリマンジャロの山頂でドラムを叩き、万里の長城など中国では黒山の人だかりをつくった彼は「バチ当たり」という本を書き大当たり!。次は「アフリカ大陸を叩け」と、原住民のリズム感覚が変になる程メチャクチャなドラムを叩き、現地で原木をくり抜き、ドラム胴製作してのアフリカゴクー混血音。「黒人女性の胴を知らずして南ア問題語るなかれ!おいらは昔の日本には興味あるけど、これからの日本に興味なし!」 タン、タタン、スタタン、タンスタタ。ドラムを叩く時、木や川や橋や街などの風景ではなく、太陽を見ながら叩けば、現実に引き戻されることなく、ジャングルの中での太陽、チベットの太陽、アフリカでの太陽と、その状況の中でドラムを叩いた光景が浮かびあがるのだ!」と。 あれはいつだったろうか(90年代)?メーカーからトラクター借りて、ドラムを乗せたリヤカーを引張りノボリを立てて、日本縦断ドラム旅!。陸前高田にもやって来て僕を喜ばせたっけ。黄黒バンド。ウルトラ寿邪頭管弦太鼓。野中悟空と人間国宝。くのいち・じんこく。様々の形態のグループ他、僕と寺での除夜ライブ、悟空楽団で僕が歌ったCD発売。そして“いわてあづまね山麓オータムジャズ祭”に2度の出演!先日また新バンドつくったよとデンワあり。
盛岡りんごハイボールを店で提供してくれませんか!そう言いに来た広告社の人に誘われるまま、いいでしょうと返事をして話を聞いたら、盛岡産のりんごジュースとジンビームウイスキーを使ってのハイボール。昨2016年にレシピを考案した藤原和広さん(遊食屋FUJIオーナー)の店で、その一周年を記念した「盛岡りんごハイボールの日」(毎月22日)制定の集いがあるというので参加した。
2杯飲んだら次の1杯無料になるスタンプラリー(7/21~9/20)でいろんな店を飲み歩こうというもの。PR大使は、盛岡りんごハイボール・テーマソングを歌う男女(夫婦ペア)の「アンダーパス」と、タレントの「フジポン!」ハイボールの日と定めた22日は、考案者の名「FUJI」ではなく、りんごの「ふじ」からだそうで、その、ふじの原木は今でも盛岡農業試験場にあり、そこからふじの栽培が全国的に行われるようになったらしい。その盛岡りんごハイボールのPR大使の一人、フジポンさんは、父が盛岡農試の職員であったことから彼女もそこでポン!と生まれ育ったと言って皆を笑わせた。その時僕が思い出したのは何十年か前、黄色いりんごの新種を岩手県が開発した時、その名付け会議に何故か僕も呼ばれて県庁に行った記憶!。それはさておき、アンダーパスは「今夜はりんごのハイボール」を唄い、自分たちのステージでは最初にこの曲を唄っていますとPR。 盛岡駅地下道で歌っていた北上の後藤雅弘さんとゴスペルのシモンズ・カンパニーで歌っていた鳩岡美香さんがアンダーパスを結成した頃、美香さんは、ピアニスト・坂本千恵さんと「ティアラ」というユニットの活動もやっていて2004年から2005年の一年間程、開運橋のジョニーに出演。鳩岡さんのオリジナル曲や歌に将来性を感じた僕は、2005年ジャズ批評誌の女性プレイヤー最前線特集にパーカッション・ヴォーカリストとして紹介記事を書いた。その後彼女はアンダーパスに主力を置き、2008年米作りの人達に捧げた「大地の唄」、2009年NHKのみんなのうた「たらりら」、2010年「わんこきょうだい・いぬではございません」、2012年三陸復興応援ソング「One」、2016年岩手国体応援ソングの「ビクトリー」他、様々な岩手プロスポーツ応援ソングを発表し続けている。
ジャズの巨人・ジョン・コルトレーン(ts.ss)の没後50周年を記念する、JCメモリアルバンドの結成35周年記念ライブ(バンドの最終公演)を満員の盛岡劇場タウンホールで聴いた。リーダーのコルトレーンこと、黒江俊(ts.ss)以下マッコイタイナー役の鈴木牧子(p)、ジミーギャリスン役の下田耕平(b)、エルヴィンジョーンズ役の戸塚孝徳(ds)、この4人は結成以来35年間、不動のメンバーだったのだからそのことだけをとってみても僕は“凄い!”と思う。
バンドのデビューはコルトレーン17回忌の1984年7月17日。当時盛岡中ノ橋通にあった伴天連茶屋でのライブ。2度目は僕が声掛けした1985年の「日本ジャズ祭in陸前高田」。本来ならJCメモリアルバンドなのだが、当時素晴らしい才能を発揮し始めていた20代のピアニスト・鈴木牧子さん(現・58)に注目していた僕は、そのバンドを「黒江俊=鈴木牧子カルテット」という双頭バンド名にして晴れ舞台に出演して貰ったのでした。 30代になるとJCの他、自分のグループを結成して活動、横浜ジャズプロムナードで‘96、’98年に優秀賞。97年吉祥寺ジャズコンテストで優秀賞を受賞した経歴を持つ彼女は盛岡生まれ盛岡在住。3才からピアノを始め桐朋学園短大卒後、アン・ミュージックスクールでジャズピアニスト・弘勢憲二氏に師事し、帰郷後はジャズを中心に演奏活動を開始。かたわらピアノ教室で教える他、盛岡大学での音楽講師、ライブハウスでのハコバン、盛岡市のキャラホール・ジャズ鑑賞講座の講師などを務め、この数十年間、盛岡市を中心に夫であるベーシストの下田耕平さんと二人三脚で、ジャズの普及にその身を捧げ続けてきた人である。最近は僕の店との縁は殆んどないのだが、僕が盛岡に来た頃の2000年代、彼女の教室の発表会に何度か僕の店を使ってくれたり、ささき絢子さんの唄伴などで出演した。 そんな彼女が初リーダー作CDをリリースしたとの新聞記事を目にしたのは今年2017年2月。エーッ!初!?なのと僕は思わず声が出た。嬉しかったのは7曲中2曲が彼女のオリジナルであったこと。活動の原点となったかつてのジャズ喫茶だった蔵の中で録音したこと。しかも若い人に録音させたこと。プロデュースを夫に頼んだことなどでしたよ。
宮澤賢治の親友・藤原嘉藤治が開墾した土地、紫波の全景が見晴らせる東根山麓の天然舞台。(現・紫波ビューガーデン)で、地元の人達と一緒に僕等が立ち上げた実行委員会が主催した「いわて・あづまね山麓オータムジャズ祭・イン・紫波ビューガーデン」の第一回開催が2007年9月16日(これは昨2016年まで10回続けられた)。
片や盛岡では、同年博報堂が企画した「いしがきミュージックフェスティバル」がロックのライブハウス・クラブチェンジ(2002年12月開店)の黒沢亮介さん主導の元に始動。実行委員会会長は盛岡市長の谷藤裕明氏。「城下町に音楽があふれ出す!」のキャッチコピーよろしく、盛岡城跡公園(岩手公園)を中心に10ステージ100組程の出演で年々盛り上がっているが、資金繰りが大変な様子で、インターネットを使った資金調達法クラウドファンディングを活用し募金を募り、市も資金援助している様子。その点、最初から10回を決めて開催し、入場料と地元企業カンパのみで運営し、官には一切頼らないでやり遂げたあづまね山麓・オータムジャズ祭の実行委員長・瀬川勳氏の実践力は真の意味で尊敬に値する。 音楽は聴く人が居て、はじめて演奏する人が成り立つものなのだが、今の時代は聴く人よりも演奏する人の方が多く、しかも、自分が演奏すること以外に他の人の音楽に耳を貸したがらないアマチュア。昔のプロは聴く人を神様と言ったものだが、今は耳よりもスマートフォンな目の時代、昔ながらのレコード、CD、オーディオ、コンサートチケットを販売していた老舗・大通佐々木電気が閉まった時のショックから、人事では済まない!と始めたのが2010年4月からの「盛岡大通・ビック・ストリート・ジャズ・ライブ・フェスティバル」。盛岡大通商店街協同組合と開運橋のジョニーが共同主催する全員完全ボランティアのこのフェスは7月(2017)第28回を数え、12時から17時まで6グループ42人が出演!夏の暑さを吹き飛ばした。 その帰り道、大通の新聞店前に貼り出されていた「うちまるジャズフェスティバルin盛岡」に目が止まった。県公会堂と内丸緑地公園で7月22日に行われるもので、沢山の協賛企業、県や市の後援による鳴物入りポスターを拝見しながら様々なことを考えさせられた僕でした。熱い暑い!
ジャズ歌手・金本麻里とバップバンドの共演によるCD話のつづき。ジャズライフ誌のディスクレビュー「金本はちぐさ賞第一回受賞者(2013)で,その名に恥じない見事なヴォーカル力に気持ちが急上昇。丸みのある太い声でノリノリにパフォーマンスするナンバー。情感たっぷりのバラードなど、全楽曲から金本の熱い“気”が伝わってきた。全員がひとつになって彼女をサポートしているバップバンドのライブ感ある演奏もこれまたスインギン」(菅野聖)。
全国流通してくれているウルトラヴァイヴの前田氏から5月、6月とCDのインストア・ライブ申込で仙台と盛岡、レコード店でのライブ実現。更にそれが高じて、FM東京の全国ネット番組「シンプルスタイル」の「お昼の音」で麻里のCDから「キャラバン」が6月19日オンエア。選曲者はタワーレコード盛岡店の小森さちこさんでしたからビックリ!。 CD発売東京ライブ日の取材申込は赤旗日曜版・文化、芸能担当記者・西條正人さん(46)。実は彼、2015年にジャズピアニスト・穐吉敏子さんと、彼女の娘さんでシンガー・ソングライターのマンデイ満ちるさんが初共演したアルバム「ジャズ・カンヴァセイションズ」が発売になった時、来日ツアー中に二人を取材し「音楽と親子、平和について」の記事(9月6日付)を書き、それを読んだ新宿のジャズスポット・Jの幸田さん(同紙CD紹介欄ジャズ担当者)から、穐吉ファンの僕のことを知らされ、記事を「開運橋のジョニー」に送ってくれたのでした。 その新聞が届いた9月12日、それを読み終えたとたん店に現われたのが、記事を書いたご本人・西條さんだったから、今日は最上の日!と駄洒落が飛び出した。その僕を訪ね、岩手まで来てくれたそのことをとても嬉しく思い、同時に親近感をも覚えたのでした。後日更に数部の新聞を届けてくれ、ありがとう!そんなこともあって、穐吉さんの曲「ホープ」を歌っている麻里の新作CDを彼に送ったところ、新宿で取材し、7月2日付文化蘭に世界をめざすジャズボーカリスト・金本麻里の大きな記事「岩手からジャズの新星が生まれました。3枚目のアルバムでは、桁外れのパワフルな歌声を響かせています。ニコニコ笑顔たえない明るい人です。歌い始めると声量と響の豊かさに驚かされます!」でした。感謝! |
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