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秋田県鹿角市花輪にある「鳳林山・長年寺」で行われる夏祭り(2011年7月16日)に,ジャズバンドを呼びたいとの話があり、開運橋のジョニーに出演しているベースの細川茂雄カルテットに、サックスの米澤秀司、ヴォーカルの金本麻里を加えた、6人編成のお供をして行って来た。 寺で行うまつりとは一体どんなお祭りなんだろうという興味もあったが、寺に到着してみれば、なんと「桃の木稲荷」ののぼり旗が立ち並んでいて、ビックリ!何でも、寺の裏側に位置する境内の山頂にその「桃の木稲荷」があり、神が寺を守り、仏が神社を守っている、まさに日本昔話のごとき神仏一体の寺社でした。神前で般若心経を唱える不思議。僕も参列させて頂いた。 長年寺は秋田一、二の大きな寺で、本堂屋根のてっぺんには何と、南部藩の対鶴と巴の御紋。墓地奥には南部家来の古い墓が並ぶ。「南部利昭氏も来山されましたよ」と松井直行住職。南部利昭氏といえば、南部家第45代当主で靖国神社の宮司だった方。2009年1月7日に73才で亡くなられた。そういえば南部氏はジャズが好きで、宮司を務めてた時(年月失念)、開運橋のジョニーへ“おしのび”でライブを聴きに来てくれた事があったなあ、と、思い出した。 長年寺では、盛岡の金本さんと言えば!と、麻里さんに、寺にある鐘の話になった。その鐘というのは、戦時中に供出した寺の鐘が、平成10年3月にヴォーカルの金本麻里さんの父、辰彦さんの手を経て半世紀振りに長年寺に戻ったという鐘の事だった。なんたる偶然。 それは辰彦さんの父、正伯さん(昭和60年亡)が昔入手し、自宅床の間に大切に飾って置いた鐘だったらしいが、辰彦さんが鐘に刻まれていた文字を判読したところ「奥州花輪邑・鳳林山長年寺」文化12年(1815)4月13日盛岡の鋳工・山口伝兵衛(藤原雅重)氏の制作。とあり当時、秋田の高校教諭で古鐘研究家の熊谷恭孝氏が、明治24年の秋田県寺社所有物の文献をもとに調査し、長年寺に二つあった鐘の一つだという事が判明した。 長年寺の奥の間にあったその鐘の音は、味わいのあるいい音だった。19回目のまつりは晴天!今年が最高!楽しかった!と皆が言ってくれた。
日本でのシャンソン歌手と言えば、そのほとんどは日本語に訳された詩を歌うのが通常。だが、原語で歌いながら自分でピアノの伴奏もする、いわゆるシャンソンの弾き語りが出来る、パリ在住の千葉海音さん(34)があさっての8月17日に、開運橋のジョニーでコンサートを行う。 彼女がジョニーに初めて現れたのは2009年9月18日だった。聞けば出身は、僕と同じ平泉。しかも僕の娘と同い年。盛岡の不来方高校から、洗足学園大音楽部を経て、2000年にパリへ渡った。1920年~30年代の古いシャンソンを中心に勉強し、今では歌手として、シャンソニエやサロン、ギャラリー、ホームパーティー等で歌い、少しはピアノも教え、細々ながら音楽で生計を立てているのだという。 2年前、ジョニーで歌った時、「夏と冬に日本へ帰って来るのですが、地元岩手は初めてで、まして盛岡は不来方の制服を着ていた街なので、青春時代を過した岩手で歌えたことが嬉しかった」と涙を流した光景が今でも目に浮かぶ。 あとで知った事だが、彼女は、僕の平泉中学時代、音楽の教鞭をとった「千葉ケイ子」先生のお孫さんだった。当時としてはめずらしく、真っ赤な口紅をつけて教壇に立ち、自宅から持参したレコードを教室にあった電蓄でかけて聴かせてくれた記憶がよみがえる。お会いしたいと思っていたが、昨年亡くなられたという。 海音さんはパリのいろんなシャンソニエでいろんな人の歌を聴いたが、なかなかグッと来なかった。だがある時、モンマルトルの「ラパンアシル」(エリックサティやピカソが通った店としても知られる)で聴いた「ミッシェル・ベルガム」に感動。教えをこうたが断られ、それでも根気強く何度も通ったら、彼女の自宅を訪ねて来て、「歌ってみなさい」と言われ、以来教えを受け、今日に至ったのだと言う。 「ある時電車の中で、ジプシーのおばあさん(国籍の無い人だった)の歌に感動し、そのメロデイを頭に入れ、自分がそのおばあさんのことを書いた」という、昔のイスラエル曲につけた日本語の歌に鳥肌が立った。
ニューヨーク在住のジャズピアニスト・穐(秋)吉敏子さんと、彼女の夫でサックス・フルート奏者のルー・タバキンさんによる、津波被害者救済のためのボランティア・コンサートが、9日紫波町の「野村胡堂・あらえびす記念館」と、10日奥州市の「Zホール」で開催されます。
本来なら、穐吉さんのジャズ生活65周年。渡米55周年を記念する、華やかな催しになる予定でしたが、3・11の震災直後、次々と様々なコンサートキャンセルが相次ぐ中、彼女は被害にあった人達のことを想い、出演料を救済にあてるコンサートにしたいと、急遽、東日本大震災復興支援チャリティーとして、再スタート。あっ!と言う間に明日を迎える。 穐吉さんが日本の津波のことを知ったのはNHKTVのアメリカ版ニュースだったらしい。日本の歴史始まって以来の最大の被害と報じられた。ということだった。しかも穐吉さんが“ふるさと大使”を務める「陸前高田市を襲う津波の様子は、映画の作り事ではないかと思われる、すさまじい光景でした。私の親しい友人達が、陸前高田や気仙沼、仙台にも居らしたので、その生死を確かめたところ、少なくとも命だけは無事で居られたのでほっとしました。」というFAXが届いたのでした。 穐吉さんご夫妻は、その直後からニューヨークその他で行われている救済コンサートに何度も参加しており、アメリカのミュージシャン達も、ヴィレッジ・ヴァンガード・オーケストラを始め、多くのミュージシャンが積極的に運動している様子を見て感激したという。そうしたニュースも又、日本にも報じられている。 その穐吉さんからの更なるメッセージ「終戦直後の状態の様に、家も壊され、何もかも失くされた方達の御気持は、私達には想像出来ない程の絶望感が御有りと思います。音楽は人の気持を安らげ、又楽しくします。私達の演奏が少しでもその為になれば、と祈って止みません」と届いた。 前売券、あらえびす記念館は5.000円。Zホールは4.000円。当日500円プラス。ホントですか!どうしてこんなに安いの!秋吉さんに失礼じゃない!世界一の人ですよ?! 様々なうれしい言葉が届く。沢山の人々に聴いてほしい・・・・・。
ピアニスト・エディ・ブレイクが、1930年に作曲した「メモリーズ・オブ・ユウ」という曲がある。ベニーグットマン物語で有名になった曲だが、まるで、そのタイトルをもじったかのような「メモリーズ・オブ・ヨウ」という副題のついた「こころ」というプライベートなCDが僕の手元にある。 演奏しているのは、「メモリーズ・オブ・ユウ」が作曲された年に生まれ、2003年74才で亡くなるまで、現役でピアノを弾き続けた山内洋さん。1950年代からNHK盛岡放送管弦楽団。NHKのど自慢の伴奏。IBC岩手放送ニューサウンズ等でリーダーシップを取って活躍し、後年には、ホテル東日本の専属ピアニストとして演奏した人。岩手、職業演奏家の草分け的存在。 1987年からは、毎年ファミリーコンサートも開催していた程、山内家は音楽一家。奥さん路子さんが歌。長男・協(かのう)さんはドラム(95年横浜ジャズコンペでグランプリ)。彼の奥さん、麻美さんは(キーボード・ベース)。その娘由衣さんは、小学6年の時、NHKのど自慢でゲスト賞。長女・麻里さんと、その娘千絵さんはピアノ。次女・薫さんは(vo)。次男・純一さんの奥様洋子さんと子供の愛子、菜々子さんは共にピアノをやり、菜々子さんは、昨10年11月、5才でヨーロッパ国際ピアノコンクール・インジャパン全国大会の未就学児部門で最高賞の金賞に輝いたのです。 かつて洋さんの母が盛岡の旭橋の近くで営んでいたという旅館「千代荘」。その山内家の一室を借りて暮らしながら、山内洋さんのバンドでフルートを吹いていたという、オーストラリア在住の中村由紀子さんという方から、最近メールが届く。盛岡以降東京に10年。シドニーに10年、ゴールドコーストに20年移り住んで尚、山内洋さんに言われた「お前は度胸はないが、いい音を出す」の言葉を宝物とし、今も、フルートを吹いているという。 「あれがファミリーでの最後の演奏会になった」とドラマーの協さんが言ったのは、2001年12月15日の山内路子オフィスのクリスマスパーティーのことだった。開運橋のジョニーで洋さんがピアノを弾き、協さんがドラムを叩き、路子さんが歌をうたった光景が浮かぶ。「ドラムをやるんだったら、テクニックより心を大切に」が父の教えだったと尊敬する息子の協さん。
「照井さんの歌を聴きながら絵を描きたい。その描いた絵は俺の形見に受け取って、ジョニーに飾ってけで」そして飾る場所の寸法を僕に測らせた、藍画家の菊池如水さん(89)。 菊池さんと出会ったのは1993年。大船渡のNTTで菊池さんが個展を開き、当時NTTの支店長だった片方實氏に懇親会へ誘われたのがきっかけ。以来お互い意気投合。同年秋に行われた、盛岡彩園子画廊での個展も見にいった。その時、絵と一緒に展示してあった詩書を読む様に即興で歌い、その後チョット付き合ってくれませんかと、行き先も告げず車に乗せて行った先は、エフエム岩手スタジオ。10月19日のことだった。 どんな話をしたのかは、すっかり忘れて記憶に無いのだが、大いに笑い合った気がする。その時の番組で流した曲目は、オール・ザット・ジャズのアシストを務めてた、沼田智香子アナウンサーが記録してくれていた。「北上夜曲」「さだめ」「もみじ」「赤とんぼ」「浜辺の歌」。曲間に話をし、1、2曲目は志摩伸己というピアニストの演奏、特にも「さだめ」という彼のオリジナル曲は大好きで、時折聴いていた記憶が戻って来た。 菊池さんが安比や松尾で開いた個展には、陸前高田にいた僕を呼んで毎年オープニングコンサートを開いてくれたものでした。そんなこともあってか、今度のおはなし。津波で消失した高田松原を望む気仙川河口から、あの松林の心象風景を描いたのです。その間中、僕はギターをかき鳴らしながら、般若心経や自作の歌を唄い続けた。 絵のテーマは鎮魂。唄う気持も鎮魂。5月から7月、陸前高田、大船渡、釜石、宮古、岩泉、田野畑。菊池さんにとってゆかりの深い被災地に、毎週の様に二人三脚で出掛け描いた、そのシリーズの藍画は、今年10月、彩園子画廊にて発表するという。いい絵です。 僕も、その合間に個展のためのシャッターを押した。その小さな2Lサイズの写真を、7月いっぱい、紫波町高水寺の名曲喫茶「これくしょん」にて「浄土写心展」として展示しています。もしよろしかったら、のぞいて見て下さい。 鎮魂の旅。浄土写心展。どちらもアイデアは「ありがとう」の女房の小春でした。 |
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