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盛岡タイムス10月4日付(2022)幸遊記「齋藤博孝のピアノストーリー」続編です。昨年7月26日夜の事、一人の男性が僕の店・開運橋のジョニーにやって来て「盛岡の音楽マップを作ろうと思ってまして、ジョニーさんも載せていいですか?」と。「良いもなんも、本当に僕も以前から作りたいと思っていましたから、とても嬉しい!」と。その素案マップを眺めながら、その時工事中だったバスセンターに出来る「穐吉敏子ジャズミュージアム」も載せて欲しいと願いながら、その流れの中でNYの穐吉さん宅から盛岡へ運んで来る予定だったピアノを、地下2階から運び出せず!の失敗談をしたところ、彼は誰かに電話して「あのピアノはどうなりましたか?」と尋ねた。
その問いかけに直ぐ様飛んで来たのが齋藤さんだったのです。勿論僕はお二人共見知らぬ人達でしたが、マップ作りの方は、齋藤さんの息子さんが高校時代吹奏楽部でお世話になったコーチの古舘順一さんとのこと。つまり、そこから先の幸遊記(№610)の「ピアノ物語」が始まったのでした。そう、東京・山野楽器さんのピアノプレゼントに当選したはいいが、齋藤さんは、その時、土地家屋含む財産を失い、住むアパートさえ見つからず、それこそ路頭に迷っていた時の当選通知。しかもBSTVの取材付き。本来なら大喜びの瞬間だが最悪の落ち込み時。 だが、それを救ったのは、長女・佳奈さんの言葉だった。「未来は今が創るんだよ。立ち止まって考えていたって未来は来ない。今はすぐ過去になる。動き出さなきゃ写真みたいな過去しか生まれない」。それから一年ピアノを置ける場所が見つかるまでと預かって頂いていたところへ、なんと!「穐吉敏子ジャズミュージアムへ置くのは如何か?」と申し出の古舘さん。僕も、別のピアノを用意中でしたが、ストーリーのある齋藤さんのピアノで行くと決断!齋藤さんも山野楽器さんもOK!。9月下旬無事穐吉敏子ジャズミュージアムへ納入と成り、11月10日には斎藤さんの夢「家族でコンサート」を世界のレジェンド・NEAジャズマスター・穐吉敏子さんが穐吉敏子ジャズミュージアムでの「親子孫三世代ライブ」(世界初演)で、新たな魂をプラスしてくれたのですから、齋藤さんご一家の慶びは一汐、二汐。以来お陰様でピアノは様々なピアニストに愛奏され、喜々として第二の人生ならぬ、ふたたびの音生をスタート。この話BSフジ「東京物語」で放送になりました。 戻る |
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