盛岡のCafeJazz 開運橋のジョニー 照井顕(てるい けん)

Cafe Jazz 開運橋のジョニー
〒020-0026
盛岡市開運橋通5-9-4F
(開運橋際・MKビル)
TEL/FAX:019-656-8220
OPEN:(火・水)11:00~23:00

地図をクリックすると拡大します
幸遊記NO.616 「穐吉直人の穐吉ルーツ調べ」2022.11.29.盛岡タイムス
 2022年11月11日(金)、盛岡市民文化ホールで行われたNPO法人穐吉敏子ジャズミュージアム主催の穐吉敏子三世代ドリームコンサートを聴きに、大阪の豊能町から盛岡にやって来た穐吉直人さん(37)は、未だお若いのに穐吉姓のルーツをかなり知っていて、いろんなことを僕に教えてくれた。
 秋吉台で知られる山口県に、かつてあった“秋吉村”、今その地に秋吉姓は無し。元は水軍、お家断絶?で瀬戸内の海を渡り、流れついた先が九州中津藩の港・布津部。そこは遠浅の海、昔はそこを通らずに物資の流通が出来なかったところであるらしい。秋吉姓に、穐の字を使い穐吉を名乗ったのは秋吉村の厚東(ことう)氏(今から680年前に滅亡した)の三男坊。先祖(武家使用姓)に想い馳せ、祖先の穐に戻したことに始まっているのだという。
 その穐吉家の墓石が並ぶのは布津部村にある唯一の寺、覚正寺(浄土真宗)。遠浅の海と堤防があってその後ろに砂地の墓地と道沿いにぽつぽつと家があるところです。そう話をしてくれた直人さんのルーツはどうやら穐吉の本家本元。それこそあの大横綱・双葉山(穐吉定次)の実家は隣。穐吉敏子さんの父の実家は、右斜め前。敏子さんの父は次男だが長男の末息子・穐吉としゆき(敏子さんのいとこ)さんは現在、宇佐市にある観光交流施設「双葉の里」の館長を務めているそうなのですが、直人さんの祖父の兄は双葉山の同級生。戦争で亡くなり双葉山がその遺骨を持って帰って来たのだと。しかも遺骨となったその兄の嫁さんは弟と再婚。その弟が直人さんの祖父で父はその五男。直人さんは父が住む大阪で生まれたのだという。
 それこそ布津部にいた直人さんの祖父母は、敏子さん一家のことも知っていて、「中国(満州)から引き揚げて宇佐の布津部に来たのですが、落ち着く間もなく別府に移った」のだと。何故かは、敏子さんの姉が結核のため別府のサナトリウムに入院したことから、そこで一家の生活が始まり、敏子は街を散歩中に「ピアニスト求む」の張り紙を見つけ、ダンスホールのピアニストとしてスタートした。そのことから別府は敏子さん(四人姉妹末っ子)にとって日本の故郷になり、のちに「タイム・ストリーム」という曲を生むきっかけとなり、又、ジャズ史に残る別府国際ジャズフェスティバルの音楽監督をつとめ、そして大分国体の曲を作り、大分名誉県民の称号までいただいたのでした。それこそあの双葉山の69連勝に迫った横綱白鵬の63連勝。今、双葉の里にはその両横綱の双手形。その双葉山の墓と、敏子さんの父母の墓や、そして敏子さんの穐吉籍(本籍)は東京である。ああ豊(とよ)の国(大分の古称)の昔話と穐吉ルーツのお話、温故知新でした。



戻る
Copyright (c) 2005 Jazz & Live Johnny. ALL rights reserved.