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盛岡バスセンター3階のホテル・マザリウムロビーに開設なった世界の穐吉敏子ジャズミュージアム。 そのオープン記念として、11日 (金) 夜7時から盛岡駅西口のマリオスにある盛岡市民文化ホール(大ホール)にて親子孫三世代による世界初演の「穐吉敏子ドリームコンサート」を企画。いよいよという日にちまでやってきました。今年(2022年)4月NYの穐吉さんのご自宅からお預かりしてきた賞状や盾などを並べ飾っているミュージアムの壁一面には、それこそ彼女の直筆によ る書「黄色い長い道」の掛け軸とともに彼女が生まれてから今日までの90年余りに及ぶ年表 (ジャズ史や世界情勢と照らし合わせた)を掲示していますが、それを作ってくれたのが刈屋千帆子さん。
彼女は長年FM岩手で番組の制作ディレクターやミキサーを担当。このたびの穐吉ミュージアムのスタッフとしても活動。通信教育での学芸員資格も持っていることから、NPO法人の理事にもなってもらい、穐吉敏子さんの年表を制作するという、いきなりの大仕事を頼んでみたのでした。 すると、穐吉敏子さんの本を読み、ジャズ史、世界史まで勉強して 「穐吉年表」を見事に作り上げたのです。それこそ重箱の隅を突っつけば、間違いも少々見受けられますが、まずは、よ くできました、とそのままに掲示しています。ご苦労さまでした。 千帆子という名から浮かぶは青い海原。そう彼女は宮古の生まれ。小学校から盛岡。月が丘小、厨川中~下小路中、盛岡二高。函館大学では商学部にて宣伝広告を学び上京。東京のアパレル会社を経てニュージーランドに行き盛岡に戻ってからは、ミュージックバーに通いながら、イベント会社やTV映像、ウェディングプロジェクトやアートサポートをやり、フジロックフェスには10年も通い、はたまた仏像にはまり京都へも。 なので、弥勒菩薩(みろくぼさつ)を自称し気のおもむくままに人生の旅をしてきたのだと。ちゃんとした就職はしたことがないし、結婚の経験もなしだが、音楽と旅が好きという海風を切って海を渡る正に千帆の生き方。それこそこの穐吉ミュージアムを手伝う以前は盛岡鉈屋町の町屋物語館の学芸員でもあった。 年表を作りながら感じたのは、穐吉敏子さんはカッコイイ女性。強くて天真爛漫。昭和の初めから平成、令和と時代の勉強にもなりました。という (47 歳でした)。 戻る |
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