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町屋君との出会いは確か1999年12月。盛岡川徳デパート前のスクランブル式交差点にあるモダンなビル内にあった「ギャラリー・ラヴィ」。当時陸前高田の住んでいた僕は、そこで写心展「日本ジャズの原風景」を開催して頂いた時でした。当時僕は「アテルヰじゃんず楽団」の名でライブも時折やっていたことから、最終日にバンドで自作曲を歌った。その時彼は岩手大学農学部応用生物学科の学生でしたが、すでに白黒コピーの手作り写真集「雪と共に」を出版していて、これがなかなかよく、気に入り買い求めた。僕が盛岡に店を出した2001)にはお母さんと一緒に来店してくれて嬉しかった事迄思い浮かぶ。
今年2022年10月4日盛岡バスセンターがオープンした日には、3階に設置になった「穐吉敏子ジャズミュージアム」にも現れ入念に写真を撮っていた。彼は旧バスセンターをこよなく愛し保存運動にも関わっていた一人。だから新築の外観にも、旧バスセンターの面影が感じられることは、彼にとっても保存を望んだ人々にとっても、少しはほっとしたのではないだろうか。まして旧ロゴの保存活用には、なお更であろうしローカルハブ社や設計者の心使い,心意も伝わって、嬉しく思っている人が多いことにも感心しています。 彼、町屋君は旧バスセンターが17才の時に宮城栗原で産声をあげ、小学校に入る時に盛岡へ。その頃からカメラに興味を持ち、城西中・盛岡四高・岩手大学と、ずーっと写真部一筋だっただけに素晴らしい写真を撮る、撮れる、根っからの写真好き。しかも鉄道やバスが大好きなことから、旧バスセンターに入った時のレトロ感が気に入り、その財産性をキレイに撮り、残したい!と思い、行動に移して写したその原点は、」かつて盛岡に住み、盛岡の古い街並みや建造物を写真に収めて2冊の」写真集「あの角を曲がれば」1985年地方公論社。「この角を曲がれば」(2001同)の伊山治男写真集に感銘を受けたことだったが、もっと深いところでは、大好きだったすてきな建物(おじいちゃん、おばあちゃんの家)が壊されるのを見たショックが彼の記憶という名の記録への始まり。彼が「旧バスセンターは僕にとって父母みたいな存在でした」そう言いながら、「照井さんに持っていて欲しいんです」と僕に差し出したのは、なんと「盛岡バスセンターの記憶」という試作写真集で、旧センターの日常と最終日、最終便のバスまで写っていました。嗚呼ありがとう。 戻る |
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