盛岡のCafeJazz 開運橋のジョニー 照井顕(てるい けん)

Cafe Jazz 開運橋のジョニー
〒020-0026
盛岡市開運橋通5-9-4F
(開運橋際・MKビル)
TEL/FAX:019-656-8220
OPEN:(火・水)11:00~23:00

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幸遊記NO.576 「山崎文子の龍を魅た父と子」2022.2.7.盛岡タイムス
 昨2021年のクリスマス。盛岡駅西口ビル、マリオスの窓灯りがハートマークになる頃、その日に届いた一冊の本をパラパラめくり面白そう!と読み出していた。贈り主は著者の山崎文子さん(72・商業デザイナー)ビル・ハートマークも彼女の考案。本のタイトルは「龍を魅た人々」(早野隆三と龍泉洞誕生秘話)「龍雲たなびく宇霊羅山(写真)この胎内に龍泉洞がある」のプロローグ。
 昭和12年(1937)文部省から岩泉の天然記念物である「涌口」の視察に来た団長・脇水鐵五郎博士が、洞窟を見るなり「竜泉窟」と名付けたに始まるストーリー。18の頃から鍾乳洞に魅せられた早野隆三さん(1911~1995)はその「わき水博士」が名付けた「竜泉窟」を町の財(たから)とし「猿しか、いや猿も棲めないすり鉢の底のような谷底の集落、体力のない年より、女、子供は生涯出てゆくことはない」と昔語りされたところであっても、それを逆手に、日本一酸素を供給する「広大な自然の町」そして何よりの宝物であるとする「龍泉洞」と「龍泉洞の水」。この三種の神器を全国に向けて売り出した男の物語。
その主人公・早野隆三は同志・高橋梁助と共に、当時うわさに聞いた山口の秋芳洞と高知の龍河洞を見学に行き、秋芳洞の施設の立派さ、観光客の多さ、お土産買いの様子などに興奮し、四国行きの船上で、二人は「おらほもあんなになっぞ!一年に20万人呼んでみせっぞ」との話を聴いていた、カメラを持った青年との出会い。その青年こそが、のち龍泉洞で初の潜水調査を実行することになった越智研一郎氏。なんと彼は全国洞窟研究調査の若きエキスパートであり、愛媛新聞の記者であったと。
 見聞から帰り、家を抵当に入れたお金で、鍾乳洞の中を歩いて観光出来る橋桁を2ケ月で完成させるという電光石火の早業で観光洞に仕立て、昭和34年(1959)4月10日、皇太子と美智子様のご成婚の日の完成祝賀。本日ここを「龍泉洞と命名す」と、日本人があるべき姿を皇室に見ていた早野氏が、のち町議会議長と成ったように、龍泉洞も秋芳、龍河と並ぶ日本三大洞窟の雄!となった話のデザインは、まるで小説!
秋芳洞は国定公園・秋吉台の天然記念物。百枚皿という棚田のような石並びが有名。有名といえば同名の秋吉(敏子)さんのジャズコンサート「つぴたーれ」を岩泉で開いたのは2000年の3月。会場の公民館は龍泉洞の水の如く人、人人であふれかえった。



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