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特定非営利活動法人「穐吉敏子ジャズミュージアム」への旅。という僕達を知り、穐吉さんを知る人達への手紙のようなパンフレットが出来上がった日、それこそ、若かりし頃の穐吉さんが通って、レコードから採譜するなど、お世話になった横浜野毛の現存日本最古のジャズ喫茶「ちぐさ」で、金曜夜のバータイム・スタッフとして数年前からカウンターに立っているという上島(かみじま)洋さんがひょっこり開運橋のジョニーを訪ねてきた。
「本職の仕事で釜石に行くのですが、ここに寄りたくて前乗りで来ました」と。で、開運橋のジョニーへ寄ると言ったらちぐさ関係の皆さんから宜しく!と言われてきました!と。店は閉店間際の時間でしたが「何かリクエストは?」と尋ねてみたら、すかさず出て来たのが、な、なんと三橋美智也を聴きたいという。思わず耳を疑ってしまったが、無い訳ではないから聴かせましょう!で始まりました。「赤い夕陽の故郷」「笛吹峠」「古城」などなど。すると女房が「どうしてこういうのが好きになったの?」と尋ねれば、田舎(長野)のおじいさんおばあさんが好きで聴いていたのだという。なるほど!年令聞けば、僕の息子たちと同年代の50才! 彼の住む横浜と言えば、何と言っても伊勢佐木町ブルースの青江三奈。街のモニュメントのスイッチを押せば歌が流れますよ!と彼。彼女が歌っている英語ジャズバージョンは?と問えば「聴いたことがない」と言う。で、かけてあげたら、上手い!と、感激しきり。じゃあ、せっかく盛岡に来たのだからこれも聴いてって!と青江三奈の「盛岡ブルース」。感激新たになった彼、LP、シングルと2枚のジャケットを持って僕と記念写真。喜び満足した様子でホテルへ戻って行きました。僕にとっても“ほっこり”な夜となりました。 彼は釜石市で開催の「防災国民大会2021」への参加で来県したのだそうで、山も街も一緒に描く鳥瞰図みたいな立体の等高線ジオラマを作って見せれば、自然に街の全体像を楽しみながら自分たちの住んでいる地域の地形も手に取るようにわかり、そこへ土砂崩れの場所や津波浸水区域にカラーの光を当てることで結果的には「よくわかる防災」にまでつながるようにと、コンピューターを使ってダンボールを切り重ねて実物等高線をつくっているのだそうで、パソコンでの映像見せて貰った。それは、まさにJAZZYな芸術そのものでした。 戻る |
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