盛岡のCafeJazz 開運橋のジョニー 照井顕(てるい けん)

Cafe Jazz 開運橋のジョニー
〒020-0026
盛岡市開運橋通5-9-4F
(開運橋際・MKビル)
TEL/FAX:019-656-8220
OPEN:(火・水)11:00~23:00

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幸遊記NO.563 「夢の“長谷川誉”美術館」2021.11.2.盛岡タイムス
 ある日の夕方、店にやって来た若者の話を聞いていた。「盛岡に来て中津川原を散歩しながら上を見上げたら“野の花美術館”!すぐ道に登って絵を見に行き、自分の祖父も花の絵を描く画家だったことを告げると、館長さんが出て来て色々話をしてくれました!と。そして自分が生まれる前に亡くなった祖父の「美術館を作る!」ことを決心。それで先ず髪を切ろうと、美容院や理髪店に行ったけど、どこも予約なしでは切ってもらえず“しょんぼり”乗ったエレベーターの中で4Fジャズ喫茶標示を見て来たのだと。
 5年制の国立一関工業高等専門学校時代にベイシーに通ったこともあったからと、水沢(奥州市)からの長谷川晴紀君(22才)。祖父は晴紀君が生まれる前に亡くなっており「祖母から、祖父は顔料を使って描く日本画家だった事を聞かされたが、家に残っているものはスケッチブックが2冊だけ、絵は描きあがるとすぐ売れた?売った?ようで家には1枚も残っていないんです。だから、どうやって探したらいいものか、、、、おじいちゃんの絵を実際に見たことがないので、、、、」と、彼。
 僕は頭の中で、水沢、長谷川、22才の孫?「もしかして、誉さんじゃないの!」といったら突然泣き出して「どうしておじいちゃんの名前知っているんですか?」と。
実は僕の実家(平泉)の座敷天井には誉さんが描いた、花鳥風月の絵が100枚もあり、僕は朝な夕なそれを見ながら中学を卒業するまで、その下で寝起きしていたのだが、どれも見飽きないいい絵でしたよ。でも実家は建て直したので、その絵は半分位しか残っていないけど新しい家の天井に今もあるよ!。
 しかも誉さんが何ヶ月も実家に逗留して描いたようなので、当時中学生だった僕の兄はその後、画家になったんだから、兄は誉さんの弟子みたいなもんだと思うよ。と一回り上の兄に電話をつないで彼と話をさせた。兄もビックリした様子でした。それからすぐさま、僕は姪に電話し、彼を車に乗せ平泉の実家へ連れて行き、座敷の天井やら、姪夫婦のベットルームの天井にもある、その誉さんの絵(70年以上も前に描いた)を見て貰い、それこそ弟子であった?僕の兄(次男)が、平泉達谷窟毘沙門堂や、田村麻呂が彫ったとされる岩面大仏、そこで神楽太鼓を打つ長兄の姿などを描いた襖絵なども見て貰った。晴紀君はほぼパニック状態の一日だったようで、その日の事を忘れない様に彼がメモった字数は僕もパニくる程の14000字という凄さだった。まずはネット上にバーチャルな祖父の美術館を開きます!という。



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