盛岡のCafeJazz 開運橋のジョニー 照井顕(てるい けん)

Cafe Jazz 開運橋のジョニー
〒020-0026
盛岡市開運橋通5-9-4F
(開運橋際・MKビル)
TEL/FAX:019-656-8220
OPEN:(火・水)11:00~23:00

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幸遊記NO.559 「三沢洋美の陸前高田ユースホステル」2021.10.5.盛岡タイムス
 あの3・11から10年の2021年6月、震災後初めて復活なった?高田松原を歩いた。僕の脳裏にある、かつての風景はどこにも見当たらず、あった!とすれば広田湾の両側にある山並みぐらいのものだった。とはいえ西側気仙町の山は、高田町のかさ上げに用いられ姿を消し、かつての日本百景に数えられた高田松原と、県内一の海水浴場の風景を浮かべれば悲しいが、未来への小松とこじんまり再生なった砂浜、短く?湾曲した海岸線、高さを増し城壁の様になった防波堤と巨大気仙川河口水門の凄さ。
 かつて7万本あったとされる松の木。その後、県や高田松原を守る会や、ボランティアの人々が一所懸命になって苗木を育て、なんと4万本の植樹をこの春までに終えて、遂にはかつての砂浜の半分を再生して今夏、震災後初となった、高田松原海水浴場の海開き。待ちに待ったその7月17日は、それこそ、太陽さえも祝福するかの如く平年より5、6度高かった気温は、子供たちや若者を喜ばせた。それでもコロナ禍の影響もあってシーズン中に訪れた人の数は、臨時高田松原駅が出来た昔の一日分にも満たなかった様子。
 震災で地盤沈下したため、今は水の中に遺構として一本松の傍らに残る、かつての「陸前高田ユースホステル」。地所は陸前高田市気仙町砂盛。完成当時、僕は叔父が経営する照井クリーニング工場で働きながら定時制高校に通っていた時で、ユース特有のシーツ(袋状)洗濯を頼まれて集配によく通った。自分で喫茶店を始めてからも、ペアレントと呼ばれたユースの支配人たちと、交流続けて、初代から数代替わった最後の方まで皆仲良くして頂き「SEA・JAM・BLUE」と名付けた僕自身のコンサートも92年5月にユースで開催。それ以前の89年5月5日、ユースの前に広がる古川沼にグランドピアノを乗せた筏を浮かべて「水上の音楽会(演奏/健・未路p)」開催など、とても楽しかったなあ。
 そんなこんな思い浮かべているところに現れた三沢洋美さん(山梨県在住・48)なんと彼女は陸前高田ユースホステル、確か二代目の八木喜久男さん、弘子さんご夫妻の(共に故人になられた)娘さん。あのユースホステルで生まれた人は二人いますが、その最初の子が彼女。東に広がる太平洋にしては珍しく南向きの美しい砂浜。国立公園・高田松原で生まれ育った彼女は、親に似たおだやかで美しいひとでした。ああ、時はめぐりめぐる。訪ねて来てくれてありがとう!洋美さん!



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