盛岡のCafeJazz 開運橋のジョニー 照井顕(てるい けん)

Cafe Jazz 開運橋のジョニー
〒020-0026
盛岡市開運橋通5-9-4F
(開運橋際・MKビル)
TEL/FAX:019-656-8220
OPEN:(火・水)11:00~23:00

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幸遊記NO.558 「ふたつの黒い雨と二人の黒雨」2021.9.28.盛岡タイムス
 MSKの社長さんからCD付絵本を頂いた。見開いて本を読み、未封切のCDを取り出して聴く。タイトルは「ふたつの黒い雨」その1、「黒い雨」唄・古謝美佐子/作詞作曲・佐原一哉。その2、「心の街」唄・都はるみ/作詞作曲・近藤等則。絵・黒田征太郎。発売は2005年7月(株・アートン)ピカドンプロジェクト編.
 この黒い雨の元となった「原爆投下」から76年を経た今年2021年7月“黒い雨”勝訴!上告せずの政治決断が下され、原告全員を被爆者と認め「訴訟への参加、不参加にかかわらず、認定し救済できるよう早急に対応を検討します。そして再びこのような惨禍が繰り返されることのないよう、世界唯一の戦争被爆国として、核兵器の廃絶と世界恒久平和を全世界に訴えてまいります」の菅首相の談話発表。この一年コロナに明け暮れてゴテゴテ不評だった首相、最初で最後?の立派な仕事!さすが名前を地で行く義!偉い!と拍手した僕。
 「雨が降るどんと降る、お空は真っ暗、鉛色、、、母さん痛いよ冷たいよ、、、父さんこの雨何の雨,、、名前の無い雨、黒い雨、、、」この唄聴きながら思い出したのは韓国の書家・微刻家の“黒雨”こと金大煥(1933~2004)というパーカッショニストの「黒雨」というCD。ギネス認定の微刻も又、心眼で刻む超絶技巧。30年前ソウル市内の彼の自宅で見聞したものは、超人的な努力の仕方だった。僕が唄うステージでも叩いてくれました。
 「黒い雨」を唄った沖縄の古謝美佐子さんは方言で歌う沖縄民謡歌手。初めて苦手な日本語で唄った歌。もう一つの「心の街」は演歌の都はるみさんが、ジャズトランペッターの近藤等則さんが作った歌をリズミックに歯切れよく唄ったジャパニーズブルースである。近藤等則さん(1942~2020)は、丁度40年前の81年7月、歌の浅川マキさん(1942~2010)とジョニーで演奏。又、2012年12月2日はソロで開運橋のジョニーへ来演している。彼の全盛期、東京のあちこちの駅に彼の顔がドアップの巨大看板広告が立っていてビックリした記憶まで蘇えってくる。そう!90年代は大自然の中で21世紀の音楽をつくろうと“地球を吹く”をやっていた人でした。絵本の絵の黒田征太郎さん(1939年~)は僕のジョニーズディスク(JD-16)三上寛の「職業」(1979年録音のLP1987年発売)ジャケット絵を描いています。ああ、皆、今に至る縁話。



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