盛岡のCafeJazz 開運橋のジョニー 照井顕(てるい けん)

Cafe Jazz 開運橋のジョニー
〒020-0026
盛岡市開運橋通5-9-4F
(開運橋際・MKビル)
TEL/FAX:019-656-8220
OPEN:(火・水)11:00~23:00

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幸遊記NO.502 「鈴木周二の周辺・気仙・地域」2020.9.1.盛岡タイムス
 今夏(2020)10年振りに鈴木周二氏(元・東海新報編集長)と約束して大船渡のうなぎやさんで一緒に飲んだ。氏に初めてお会いしたのは忘れもしない1978年の夏。辺境気仙地区で、グラフ誌創刊!エーッ!凄い!一体誰が?。新聞を見てビックリした僕は購読希望のハガキを贈ったら、わざわざ届けに来たのが鈴木さん。郷土の歴史・自然・民族・文化・文芸と主とする内容で嬉しかったのを覚えているが、何よりのビックリギョウテン!は、次号への執筆依頼!。あれは一生忘れられない!
 何故かといえば、それまで僕は物の本や新聞に載せてもらえるような文章を書いたためしがなかったから!で、氏から手取り足取り文章の書き方を一から教わり、大きな大きな紙にびっしりと言いたいことを書き、それを削ったり足したりの推敲や校正をしてやっと書き上げた初めての文章は「わがジャズ日本列島改造論」(日本ジャズの隆盛は気仙から)‘78年10月。それが今日に至る僕の執筆活動?の原点。
 氏はそれまで10年間勤めた東海新報をやめ、1人出版の道を志した!まではよかったのだが何せ当時の2市2町合わせても10万に及ばぬ陸の孤島!では、やはり続かずに、すぐさま立ち行かなくなった。だが東海の社長は彼を編集長として再雇用!彼も彼の独自路線で郡の歴史をさかのぼり、過去を洗い、ノリ養殖の始祖の功績や気仙大工遺産、地域文化を掘り起こし、それに根差した未来気仙の育成に取り組み、地区民の心技を行政にわからせ、まとめる役割を担って行動した。「東海なければ夜も明かず!」の圧倒的な読者支持を受け、ある意味4市町の舵取り役とも言えた程の人。「歴史の積み重ねてきたものを全て破壊したのは文部省を始め、国家機関の人づくり怠慢と手抜き以外のなにものでもない。復興の町づくりは地域の歴史と文化が鍵なのだ」と、静かな怒り。
 それで想い出したのは「気仙は精神的に岩手を離るべし」(‘88年頭提言)。明治元年気仙は政府の直轄地となり、同2年江刺県を皮切りに一関、水沢、磐井、宮城の各県へと所属をたらい回しされ、同9年岩手県に所属。しかしその後21年気仙郡は再び宮城県に移管してほしい旨の嘆願書を内務大臣に提出するも却下された経緯を持つことから気仙は春来る「鬼」という「心の砦」を持つ独特の国に至ったのだ。



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