盛岡のCafeJazz 開運橋のジョニー 照井顕(てるい けん)

Cafe Jazz 開運橋のジョニー
〒020-0026
盛岡市開運橋通5-9-4F
(開運橋際・MKビル)
TEL/FAX:019-656-8220
OPEN:(火・水)11:00~23:00

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幸遊記NO.501 「照井の墓と館と堰まいり」2020.8.23.盛岡タイムス
 ほとんどの日本人は盆になると自分の生まれた家(実家)あるいはそのルーツとなる本家などの墓参りをするため帰省するという本能(DNA)を持っているが、僕はジャズ喫茶を構えてからというもの、ほとんど盆には実家に帰ったことがない。というのも盆にふる里帰りする人たちで一年中で一番忙しいときだから!は陸前高田時代のはなし!盛岡では逆だったが20年もすると少しは来るようになったのだが、今年はコロナ禍で延々閑!おかげで長年果たせなかった「盆に実家へ帰っての墓参り」が叶った。
 家は平泉町北沢29番地。垂直に切り立つ岩に掘られた顔面大仏に向かって右下に半分屋根の達谷窟毘沙門堂と西光寺光堂。左下には駿河と照井家。僕と年齢が同じだった実家を建て直す際、町が発掘調査を実施、昔々寺人たちの住んだ僧庵?寮?跡が出て来たという。地形的に見ても確かに境内の一角であることは一目瞭然!しかも家の屋号は「禰宜」で、通称「ねぎわの西」と呼ばれていた。隣の駿河家は(東)だったなと思い出す。
 道路から家に入る小道(門口)を横切って流れる用水路が照井堰(北照井堰)。一関・厳美渓の上流(磐井川)から取水。隧道(穴堰)を通って達谷窟前を流れる太田川に合流。その数百m下流に揚場を作って分水される水は下流の田畑はもちろん毛越寺の泉ヶ池にまでも流れゆくがその取水口が僕の実家の前なので、平泉を潤す照井堰の水を最初に使えるのが照井で、次が駿河、そして毘沙門堂前の池へと流れゆく。そんな訳で揚場(人工滝?)から流れ落ちる水の音、天気次第で水量が変わり音も変わる、いやおうなしに毎日聴いて育ち、今も音で生きている僕の原点。何十年振りかで取水口の揚場に佇んで生音を聴いた。うーむ!ひらたくいえばみずみずしい音だ!と僕。
 照井堰は藤原秀衡公の家臣で普請(工事)奉行であった照井太郎高春の起工。その子・高安が父の遺志を継ぎ難工事を推進し竣工したと伝えられるが、今日に至るまでの先覚者達の業績は明確を欠き未だに不明点多々。僕は女房と一緒に実家からの帰りに一関の照井神社や昔の平泉照井館に立ち寄り久遠の昔に想いを馳せた盆の1日となった!「夏草や兵どもが夢の跡」(芭蕉)。



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