盛岡のCafeJazz 開運橋のジョニー 照井顕(てるい けん)

Cafe Jazz 開運橋のジョニー
〒020-0026
盛岡市開運橋通5-9-4F
(開運橋際・MKビル)
TEL/FAX:019-656-8220
OPEN:(火・水)11:00~23:00

地図をクリックすると拡大します
幸遊記NO.500 「坂本九の明日があるさ」2020.8.16.盛岡タイムス
 前回幸遊記№499のタイトル「上を向いて歩こう」と歌っていたのはきゅうちゃんと呼ばれ親しまれていた坂本九(本名・九“ひさし”1945年生)。彼は1985年8月12日の羽田発大阪行きの日航機(群馬県上野村御巣鷹山に墜落)の乗客の一人でした。「上を向いて歩こう」(永六輔・作詞、中村八大・作曲、歌・坂本九)は六・八・九トリオと呼ばれ「上を~」(‘61)[
ひとりぽっちの二人」(’62)「見上げてごらん夜の星を」(’63)その後も続々とヒットを飛ばし、九ちゃんはNHK紅白に10年連続出場と相成った。
 しかも上を向いて歩こうは、いつの間にかひとりでに歩き出し、‘63年6月には「SUKIYAKI」に改題されて米国でキャピタルレコードから発売になりビルボード・ヒットチャート100で3週連続、キャッシュボックスでは4週連続で第一位を獲得(日本人初)ミリオンセラーとなって、英語バージョンまで売り出される程の人気を集めゴールド・ディスクを受賞した!。その作曲者でジャズピアニストの中村八大氏は「永遠に生きる歌をつくりたい」と願い「誰もがうたってくれるに違いない」と思って作った曲。
 九ちゃん自身、‘62年9月にフランスへ行った時にはジュークボックスにも入っていて、自分も聴いたそうですが、この歌は中村八大氏が’61年7月21日に開いた自分のリサイタル(第3回)で初演(九さん歌)が好評だったことからレコーディングされたもの、しかも曲(譜面)が出来たのはリサイタルの当日、それをマナセプロダクションの曲直瀬信子さんが八大さんのピアノでうたい、それを本番直前にその彼女が口伝で九さんに!で、ステージへと駆け上がった歌。その歌には「思い出す春の日(‘60年安保運動に参加した日本中の若者たちへの連帯の想いが込められていた)。」(佐藤剛著「上を向いて歩こう」岩波書店2011)それが歌詞とは関係なしのSUKIYAKIとなったのはアメリカ人が知っている数少ない日本語のひとつだったから。重要だったのは覚え易いメロディとメランコリックな歌声だったと米関係者。最初のラジオ反響はまるでパールハーバーの再来!だったそうだ。それはそうと僕らジャズの世界では、生前只1つ(2枚組)の作品「なしくずしの死」(幸遊記№244)を遺してこの世を去った天才アルトサックス奏者・阿部薫(1949~78)は忘れられない存在の人。その彼は、坂本九さんの姉の子(甥)であった!闇があってこそ光は輝き明日があるさ。見上げてごらん夜の星を!



戻る
Copyright (c) 2005 Jazz & Live Johnny. ALL rights reserved.