盛岡のCafeJazz 開運橋のジョニー 照井顕(てるい けん)

Cafe Jazz 開運橋のジョニー
〒020-0026
盛岡市開運橋通5-9-4F
(開運橋際・MKビル)
TEL/FAX:019-656-8220
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幸遊記NO.499 「ジェット機禍!“上を向いて歩こう”」2020.8.10.盛岡タイムス
 8月は原爆の月、終戦の月、盆の月。記憶は49年前の1971年7月30日、乗員乗客162人を乗せた、千歳発、羽田行きの全日空ジェット旅客機・ボーイング727のイワテケン雫石町への墜落。更にはちょうど30年前の‘85年8月12日羽田発、大阪行きの日航ジャンボジェット機・ボーイング747、乗員乗客」524人(生還者4人)という史上最大の墜落。以前にKさんから頂いた「クライマーズハイ」(横山秀夫著・文春文庫2006)と、中学時代の同級生N子さんからの「機関銃を探しに来た男」(大宮純著・せせらき書房)と二つの墜落に関する小説を読んだ。前者は元地方新聞記者、後者は元政党青年同盟員。そして僕のジャズ講座に10年通っている先輩のK女史から頂いてた’85年の週刊朝日8月30日号「詳報!日航ジャンボ機墜落」。
 雫石に落ちたのは航空自衛隊松島飛行場から離陸したジェット戦闘機(訓練機と教官機)の編隊飛行中、訓練機の右翼が旅客機の尾翼付近に衝突。両機は操縦不能に陥り、自衛隊機は雫石駅西方400m地点。全日空機は空中分解して同駅3.3kmを中心に東西南北1.5km付近に墜落し全員死亡。訓練機生はパラシュートで無事脱出。
 日航機が落ちたのは群馬県の上野村御巣鷹山。墜落数年前、同機はしりもち事故で修理した圧力隔壁の破損及び垂直尾翼の脱落による操縦機能の喪失が原因かとされたが、軍?自?のオレンジ色した小型無人飛行物体の衝突が本当の原因のようでもある(乗客が窓から撮影していた)が、機長の米軍横田基地への緊急着陸要請も拒否されての大事故?大事件であった。「地球上の全ての物は自らは絶対に動きませんから”動かぬ証拠“になり、時としてその証拠は人という者の力によって動かされ隠滅させられることがある。」
 大宮純(本名・伊藤孝・1948~2015幸遊記№73)の小説は雫石に墜落した戦闘機の機銃が誰かによって持ち去られたことから、聞き込み捜査する警察官が、それに乗じて赤狩りのための聞き込みまで進めるという墜落とはあまり関係のない物語だが、それなりの面白さ!いずれにせよ権力をつかさどる者とそれに従う権力者側の見えないおそろしいまでの圧力に立ち向かった男たちの物語である。



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