盛岡のCafeJazz 開運橋のジョニー 照井顕(てるい けん)

Cafe Jazz 開運橋のジョニー
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盛岡市開運橋通5-9-4F
(開運橋際・MKビル)
TEL/FAX:019-656-8220
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幸遊記NO.497 「井上マスのお前さんへの手紙」2020.7.27.盛岡タイムス
 前回の幸遊記にちらと登場した井上マスさん(作家・井上ひさし1934~2010の母)は1907年小田原の生まれ。東京の病院勤めで知り合った薬剤師の夫・修吉さんは結核性カリエスにより9年間にわたる闘病生活の末、36才の若さで、実家の山形県小松町(現・川西町)で他界。しかし彼はその3年前の1936年「サンダー毎日」の懸賞小説に応募し「H丸の伝記」で、一等入選「夫の文才、私の目に狂いはありませんせした」とマスさん。‘39年夫に先立たれた時長男・慈(10才)、2男・ひさし・(5才)、そして夫の死と入れ替わるようにその年の暮れ生まれた3男・修佑(しゅうすけ)。その時から、かたときも忘れることがなかったという亡き夫への30数年間分の長い長い赤裸々な手紙。それが’83年3月、東京の書苑から「人生は、ガタゴト列車に乗って、、、、井上マス」という本になり、大絶賛されたのでした。
 読めば、のちの大作家となった2男(ひさし)の父母のDNAによって?作家に至るまでの道程がわかるというもの。戦争を挟んでの前後、物資の乏しい時代にあって、3人の子供を育てるため、どうしなければいけなかったかのかなどを、たったひとつの虚構もなしに語られた思い出話の物凄さに圧倒されたもの!
 僕はマスさんと11PM・TVに出た後日、お会いしに釜石へ!鉄筋コンクリート造りの立派なお宅に伺うと、通された広い応接間の様な書斎で机に向かい執筆中でしたが、お茶でお相手をしてくれて翌日にはお礼の葉書まで届き嬉しかった。
 前回幸遊記に登場の森田眞奈子さんにマスさんは「耕して天に至るという言葉がございますが、普代までのつづら折りの山道は歩きて天に至る思いであった。途中の北山崎の景観は近代文明を疎外の外においた太古のままの姿に圧倒されました。外来者にとっては驚異の風景大自然であっても常時そこに暮らすとなると大変だなど、月並みの表現では住民の辛苦は理解されない実生活があるという発見はなんと美しく悲しいものであろう。怖い山道と断崖の海にかこまれた中で生きている、普代村の人々をいとしく、そして幸福を願わずにはおれません」の手紙。そのマスさんの本と戦後すぐ釜石の警察官になった菊池武男さんから聞いた昔話の数々、合わせれば表と裏ピッタシカンカンでした。事実は小説よりも奇!



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