盛岡のCafeJazz 開運橋のジョニー 照井顕(てるい けん)

Cafe Jazz 開運橋のジョニー
〒020-0026
盛岡市開運橋通5-9-4F
(開運橋際・MKビル)
TEL/FAX:019-656-8220
OPEN:(火・水)11:00~23:00

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幸遊記NO.494 「ジャズ・1956年ニューポートの奇跡」2020.7.6.盛岡タイムス
 陸前高田で僕が店を開いた1975年からずーっと常連だった米谷隆夫さんから、先月(2020年6月)2度8冊のジャズに関する単行本(1950年代~60年代にかけて発行)を贈られた。その中の一冊「ジャズ」ラングストンヒューズ(1902~1967)木島始・訳本の終章にニューポート(第3回ジャズフェスティバル)報告1956。「初日、空からどしゃ降りの雨のもと国歌の演奏で口火を切ったカウントベイシーから、MJQ、エディコンドン、サラボーン、ユタヒップ、そしてトシコアキヨシ、チャールス・ミンガスグループが出演した」とある。
 二百数十年前のニューポートは捕鯨の町でありブラックゴールド(アフリカ人奴隷)の貿易港。「町はアフリカ人たちの血と自由と幸福の犠牲のうえに築きあげられ繁栄し、富と財産かちえた」そこでのジャズフェスティバル。「本当に元気な、心底ジャズに首ったけの者だけ(2千人)が座っていたという。(第二夜は一万人、第三夜は一万数千人)その最初の晩「吹き付ける雨や水浸しの地面や音楽の為にかかるかもしれない肺炎のことを忘れさせたジャズには予防の性質、治療の価値があるにちがいない。なぜならニューポートで致命的な風邪を引いた人があるのを聞かなかったから」とある。
 たしかに!今のコロナウィルスだってジャズクラブやジャズ喫茶での感染は無いようだ。それは何故?って「ジャズはミツめるものでなくキクものだからです!」。‘56年9月号SJ誌に「アメリカ・ジャズ祭に、秋吉敏子キモノ姿で現れドラムとベースの伴奏で演奏、喝采を博した。特に「トシコズ・ブルース」が好評であったと。その初夜のトリはチャールス・ミンガス(b)率いるジャズ工場!ミンガスといえばその秋吉こと穐吉敏子さん(90)が、これまでにサイドメンとして所属したのは唯一このチャールス・ミンガスのバンドにだけ。「イン・バードランド」(‘62年6月5日)。「タウンホールコンサート」(’62年10月12日)の2作品にそのサイドメンとしての演奏が残っているが、穐吉さんは「彼が意図しているメロディを彼が歌い、それを私たちがその場で覚えるというミンガスの練習方法、私はそれが今でも一番理想的な方法だと思っています」という。そのミンガスの自伝本を翻訳したのはかつて僕が大変お世話になった先輩の故・稲葉紀雄さんでした。



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