盛岡のCafeJazz 開運橋のジョニー 照井顕(てるい けん)

Cafe Jazz 開運橋のジョニー
〒020-0026
盛岡市開運橋通5-9-4F
(開運橋際・MKビル)
TEL/FAX:019-656-8220
OPEN:(火・水)11:00~23:00

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幸遊記NO.486 「太田代伸夫の山菜と山の鯉のぼり」2020.5.11.盛岡タイムス
 5月の連休明けまでの休業自粛生活中、半世紀程前からの友・太田代伸夫さん(盛岡在住)に誘われ、彼が運転する車に同乗し、3度ほど山菜取りに山へ行って来た。おもえば田舎育ちの僕だから、それこそ山菜は三才頃から食べてたはず?記憶は小学低学年時代、竹筒をつくり塩を入れ持ち歩き、スカンポやイタドリの茎など皮をむいて食べていたことを思い出す。こしゃくや、はりぎり、カタクリ、たらぼ、等々の山菜のハカマや枯草を取り除く作業しながら、あれこれ調理法を考えるのも楽しく、食する時はまさに至福である。
 太田代さん(74)は宮守村(現・遠野市)生まれ、盛岡工業高校卒。父は県庁職員だった人で若き日、農業試験を受けたら2番の成績。その時の1番は、のち岩手県知事となった中村直氏だったとの話を聞いたことがあった。僕が彼、太田代伸夫さんに出会ったのは20代の半ば頃、陸前高田にあった「柳(りゅう)」という店でバーテンをしていた時であった。当時彼は28才?。陸前高田の長谷川建設にいて、たしか住宅団地関連の仕事をしていた。彼の言葉で覚えているのは「将来、家を建てる時、俺がやるから!」だった。だが僕は家はおろか1坪の土地さえも手にしたことはなく、まるで物語に出てくるキリギリスのように音楽に遊びほうけている毎日で生きて来た。
 かたや太田代さんは37才の時、勤めていた建設会社の部長を辞し、大所高所(個々の事、小さな事にとらわれない大きな視野)に立つ「大高建設」を起業!。初仕事の「いわな養殖場工事」に取り掛かる時、お金の無い彼に、生コン・機械・資材など必要な物すべてを、それに関わる会社が無条件で応援してくれたという。又、優秀な親方と作業班まで付いて来て段取りよく、まるで流れ作業のように働けた御蔭で利益率も良く、最初からボーナスを支払ったのだとも。以来業界の談合には一切かかわらない事を貫き通して、会社を社員にバトンタッチ。その間自分のお金はユニセフに寄付し続け、恵まれない世界の子供たちへ届け、又、困っている知人を助けその子供たちへ学費の援助までしてきた稀有な人!。それを陰で支えた芳子奥方は菩薩様。山菜取り終え帰り道、ふと山眺むれば岩手山の蒼い山肌に、くっきりと巨大鯉のぼりの残雪姿。嗚呼!今日は元禄五月晴れ!



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