盛岡のCafeJazz 開運橋のジョニー 照井顕(てるい けん)

Cafe Jazz 開運橋のジョニー
〒020-0026
盛岡市開運橋通5-9-4F
(開運橋際・MKビル)
TEL/FAX:019-656-8220
OPEN:(火・水)11:00~23:00

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幸遊記NO.436 「ヒロシマの希望と阿部克自の生写真」2019.5.27.盛岡タイムス
 昨2018年8月6日付・本紙盛岡タイムス(幸遊記・№394)に登場していただいた広島・善正寺の中川元慧住職から3月11日に封書が届いた。入っていたのは手紙とコンサートパンフコピー。パンフは2001年8月6日、ヒロシマ厚生年金会館で行われた「穐吉敏子ジャズオーケストラ広島公演」(ヒロシマ~そして終焉からの初演コンサート)。企画したのは住職を頭とする実行委員会「私が広島で生まれ育ち被爆者を親に持つ僧侶としてのささやかな平和に対する思いから、21世紀には核兵器が絶対に使用されることのないことを願って、秋吉さんに“ヒロシマ”という曲の作曲を依頼し、秋吉さんの希望でその発表を21世紀最初の8月6日、今日この広島の地で行うものです」と中川住職の挨拶文。主催したのは広島テレビだが、そのコンサートの模様を放送したのはNHK・BSI・8月11日。1200部刷ったパンフ以上の入場者数で足らなくなりメンバー全員のサイン入り1部だけが住職の元に残った。送られてきたそのコピーを見て僕はアッ!と思い出しパンフ資料を調べたら、ありました!本物が!それこそ秋吉オーケストラのコンサートを制作した招聘元の株・オールアート・プロモーションで、ロードマネージャーをしていたアキヨシこと鈴木明義さんから、コンサートのこぼれ話(原爆投下時の音をドラムで表現演奏したジョージ川口さんのこと)を聞いた後で、僕が持っているよりジョニーが持って入る方がいいからとプレゼントしてくれたものだった。あらためて鈴木・中川両氏に感謝です。
 すると翌4月、今度は神田神保町にある「アデロンダックカフェ」の滝沢理さんから昔の穐吉さんの白黒生写真5点。2枚は1963年帰国時のステージ写真(ふっくらとしたおなかには生まれる前のマンデイ満ちるが入っている)と、84年ケンフランクリング撮影のピアノを弾くトシコ。そして80年代の穐吉夫妻、それを見せたら「あ、これ阿部ちゃん(阿部克自・1929~2008穐吉のレコード孤軍のジャケット撮影者で日本人初となったジャズ写真家の最高栄誉「ミルトヒントンアワード」2005の受賞者)のしゃしん!」とサインを入れてくれた穐吉さん。そういえば昨2018年1月行方均さんが監修した阿部克自写真集「ジャズの肖像ポートレイチャーズ」(表紙にはデューク、マイルス、コルトレーン等と共に秋吉写真)をプレゼントしてくれたのが盛岡の及川房子さんでした。感謝!感謝!



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