盛岡のCafeJazz 開運橋のジョニー 照井顕(てるい けん)

Cafe Jazz 開運橋のジョニー
〒020-0026
盛岡市開運橋通5-9-4F
(開運橋際・MKビル)
TEL/FAX:019-656-8220
OPEN:(火・水)11:00~23:00

地図をクリックすると拡大します
幸遊記NO.434 「ついに始まった盛岡ジャズ史への旅」2019.5.13.盛岡タイムス
 この幸遊記の連載を始める前、100週(回)書かせて頂いた「トシコズ・ドリーム」(№96・2010・11・29盛岡タイムス)の主人公・穐吉敏子さんの「私のジャズ物語・ロング・イエロー・ロード」(NHK教育TV番組“人間講座”2004年6月~7月期を収録した本)を、穐吉さんがニューヨークから僕に送ってくれた。その第7話「ジャズを愛する人々」の中に僕の名前も出てきてビックリしたものでしたが、第4話「わが心の師デューク」の冒頭に「ピアニストとしての師がバド・パウエルだとすれば、音楽家としての師がデューク・エリントンでした」とある。穐吉さんが初めてデュークの音楽をレコードで聴いたのが1947年頃(僕が生まれた)だというが「正直なところ何だかよくわかりませんでした」。その10年後ボストンでデュークのオーケストラと共演したときも「音楽の理解が浅かった私は正直なところアンサンブルには興味がありませんでした」(中略)。その時受けた印象は「彼のユニークでダイナミックな指揮ぶりに彼の音楽家、リーダーとしての大きさを感じた」。
 又6年後の72年夏、デュークがロスのディズニーランドに出演した時、客席にいたアキヨシをステージに招きバンドと共に「A列車で行こう」を弾かせ、大勢の聴衆がピアノのまわりに集まり手拍子を取った。演奏後、老夫婦が寄ってきて「貴女の演奏は30年前のデュークみたい!」と言った。「デュークに似ているとは思わない私は、貴方たちはデュークを聴いて何年になるのですか?」。答えは「私は28年、ワイフは36年間のファンです」。その時穐吉さんは「アメリカのジャズの歴史、厚みにめまいがする思いでした。このような人々に支えられてジャズ史の上に立ち、その歴史の重要な1部であるデュークを羨ましいとも思いました」。このくだりは忘れ易い僕でも覚えており、あれから15年、あっという間に僕も穐吉ファン歴45年になった。
 2019年5月の連休前、僕は盛岡のコンサート(特にもジャズ)には欠くことの出来ない重要な人物・穀蔵力氏に、民家画廊「ダダの家」で偶然に声を掛けられ、1963年、秋吉敏子カルテットを盛岡に呼ぶため、アメリカからのバンド招聘元・神原音楽事務所まで交渉に行ったと聞き、その資料を調べながら穐吉さんを基点として、僕の中で更なる盛岡ジャズ史にまで発展している。



戻る
Copyright (c) 2005 Jazz & Live Johnny. ALL rights reserved.