盛岡のCafeJazz 開運橋のジョニー 照井顕(てるい けん)

Cafe Jazz 開運橋のジョニー
〒020-0026
盛岡市開運橋通5-9-4F
(開運橋際・MKビル)
TEL/FAX:019-656-8220
OPEN:(火・水)11:00~23:00

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幸遊記NO.388 「穐吉敏子の姉・折田美代子」2018.6.25.盛岡タイムス
 ジャズピアニスト・穐吉敏子さんの姉・美代子さんは毅然として「5才年下の妹は歳ですねーと自分で言っているけれど、私は歳だなんて思ったことはありませんよ!」という。生まれたのは満州(現・中国)4人姉妹の2女。白に赤紫の縞模様の入ったふわりとした上着に真っ白いパンツ。美しいキラキラ刺繍の入ったシャツにコテコテッとした真珠のネックレス。濃い紫に髪を染め、同系のサングラスをかけ、深い赤色のマニキュアと口紅。右の小指と左の人差し指には銀色の指輪。それがなんとも自然な美しさをかもし出していて最高!よくファッション雑誌から抜け出た様だと、ステキな女性をたとえるものだが、年令を考えても、考えなくとも、雑誌の方が逃げ出す程の美しい装いはまさに「ファッショナブル」の真実。魅せられてしまいました。
「私たち姉妹は敏子とは呼びません!“クリちゃん”と呼んでましたし、私は今でもクリ!と呼んでます。彼女が生まれた時、男の子が欲しいんだったら“クリ子”とつければ次は男の子、と言われたのでみんなでくりちゃんと呼んでたが役所に届けた名が敏子で、次の子は生まれなかったしで、くりと呼んだの。
穐吉さんはアメリカでも日本でもマネージャーという人を持たず、全てを自分でやって来た人だが、1961年の初帰国からつい最近の5年前まで、日本に帰って公演先をあちこち飛行機で移動するその航空券手配は全部お姉さんが一人でやっていたというのだから驚きだ!しかも未だにあの博物館もの的なダイヤル式の黒電話での用達なのだという。
「母はレコードが好きで、長唄や小唄、はたまたピストン堀口(東洋フェザー級チャンピオン)の唄まで聴いてましたし、政治の話も好き、よそには殆んど無い時ピアノがあった家でしたし、錦絵のようだといわれた綺麗な母でしたが、70才過ぎても英語の勉強してましたね。敏子は試験の前の日でも夕御飯までピアノを弾き、食べてまた弾く、それでも大連の女学校での成績は1番か2番でした。私は勉強嫌いで学校休みたい!すると母は休んでもいいですから、一日中仏壇の前に座っていなさい!というスパルタでした」
そう言う美代子さんは今年2018年1月2日、93才になった。朝ベットの上で体操して、お散歩15分、週1度プールで首までつかってのウォーキングを続け、転ばぬ先のチエ(杖)をつく!



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