盛岡のCafeJazz 開運橋のジョニー 照井顕(てるい けん)

Cafe Jazz 開運橋のジョニー
〒020-0026
盛岡市開運橋通5-9-4F
(開運橋際・MKビル)
TEL/FAX:019-656-8220
OPEN:14:00~24:00

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幸遊記NO.316 「小宮一祝のジャニーが見ていた海」2017.1.30.盛岡タイムス
 旧満州国遼陽(現・中国)にて、穐吉敏子さんが生れた1929(昭和4年)、本国日本ではジャズ喫茶店が誕生。本郷赤門前に野口清氏の「ブラックバード」、新橋に寺田雅宏氏の「デュエット」。1933年開店の9軒目は、現存する日本最古の横浜野毛「ちぐさ」。この店は今もあるが、かつての常連さん達が、店主の故・吉田衛さんを讃え、同地区に店と彼の記念館を2012年3月11日に新しく再開し現在に至っている。
 では、ずーっと続いている最古の店はというと、日本橋に生まれ育ち、埼玉県朝霞市にてジャズ喫茶を始めた小宮一晃氏の「海」昭和27年(1952)である。この年は戦後のアメリカによる占領が終り、アメリカ進駐軍クラブへ出演するバンドの格付審査(国の特別調達庁)も廃止となり、バンド景気が徐々に冷め始めた年だが、朝霞は米軍基地の街。当時の写真を見せてもらったら、店の名前は「JOHNNY」。米兵たちから店主は「ジャニー」と呼ばれ親愛された様子。
 当時店の近隣には「フラミンゴ」「サンフランシスコ」「レジェンド」などのクラブがあり、米兵相手の女性ダンサーを運ぶ専用バスが何台も連なっていた。クラブのステージ写真には秋吉敏子・コージーカルテット(54年頃)が写っていた。ジャズ喫茶「ジャニー」は米軍基地から正式に基地外認可店“A”印を付けられ、客のすべては白と黒の米兵。彼等が持ち込むジャズのSPやVディスクが店内に流れる毎日。店を一週間休んで米兵と温泉に行けば、店の売り上げを米兵たちが負担した程愛された店主。
 1960年代米軍基地は日本の自衛隊に変わり「ジャニー」は「海」となり、店の壁は10インチ(25センチ盤)のジャズレコードが飾られていたという。今は30センチ盤の古いLPが壁一面に飾られていて壮観!。でもなぜ内陸の街に海なのかは、一祝さんの父(創業者)が海軍の出身者であったから、海を見ていた「ジャニー」である。僕の店はベトナム戦争時代の小説「海を見ていたジョニー」(五木寛之作)からの名で、ラストシーンは海。スペルは同じ。ジャニーは海から戦後に内陸へ!。僕は1975年、海の街でジョニーを開店し2001年内陸の盛岡へ。その時住んだアパートの名は小宮荘。今は「海」へ流れゆく川(北上川)を見ながらジャズを聴いている不思議なご縁である。



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