盛岡のCafeJazz 開運橋のジョニー 照井顕(てるい けん)

Cafe Jazz 開運橋のジョニー
〒020-0026
盛岡市開運橋通5-9-4F
(開運橋際・MKビル)
TEL/FAX:019-656-8220
OPEN:(火・水)11:00~23:00

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幸遊記NO.269 「坂野のぼるのひとすじ音楽人生」2016.3.7.盛岡タイムス
 「愛の浜旅情」「太平慕情」「大橋旅情」「さらば高炉よ!」。ご当地ソングの更なる地域版カセットテープ制作のための選考会で選ばれた4名の新人歌手が、生バンドをバックに唄い録音制作した、釜石オリジナル歌謡曲集が発表になったのは1989(平成元年)のこと。そして2015年に橋野鉄鉱山・高炉跡が世界遺産登録となった原動力のひとつにもなった歌「夢高炉」「橋野川残照」に至るまでの20曲余りの作曲や編曲を担当したのが坂野のぼる(本名・友雄)さんでした。
 彼は釜石在住のピアニストで今年2016年1月5日に91才を迎えたばかりだったが、2月21日帰らぬ人となった。昨年11月釜石で行われた作詞家・長柴政義さんの出版記念パーティに元気な姿で現れ、久し振りに話をしたばかりだっただけに残念です。奥様の百合子さんが倒れられてから、何年も病院に毎日自転車で通っていたそうですが、亡くなられてから、少し元気を失していたらしい。
 坂野さんは1925(大正14年)山形県米沢市生れ、幼少よりハーモニカ、小学でピアノ、中学でギターを独学で覚え譜面も読めたことから音楽学校へ進むつもりが、戦争が始まり、兵隊へ。満州で軍曹になり少年兵の教育。1945(昭和20年)陸軍病院の警備隊に転属となった時その倉庫にあった楽器を見つけて、ひそかに楽しんだという。終戦後日本に戻り音楽家を目指し上京。神田でギターを買い、若原楽団で弾き歌手や踊り子、浪曲師、たちと学校回り。ためたお金で私立仙台音楽学校へ入学。卒後まもなく自己のセクステットを編成。黒人演奏家のアドリブを参考にして譜面を写し書き進駐軍クラブで演奏。
NHK昼のプレゼントで1年半ギターを弾き、東北・北海道のキャバレー、クラブ回り中に、釜石のキャバレー「ゴールド」の立て直しを依頼され4年演奏。「銀河」では16年。その後自分の店「夜想曲(ノクターン)」を百合子夫人と開店。お客さんの歌伴をしながら、そこで多くのオリジナル曲を作曲し著作権協会の会員にもなった。そういえば1989年9月、僕の県民会館大ホールでの初コンサートでは、何曲かバンド演奏や伴奏もして頂きましたね。来る3月10日正午より釜石シーガリア・マリンホテルにて故・坂野ご夫妻を偲ぶ歌の会。お二人のご冥福をお祈りいたします。



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