盛岡のCafeJazz 開運橋のジョニー 照井顕(てるい けん)

Cafe Jazz 開運橋のジョニー
〒020-0026
盛岡市開運橋通5-9-4F
(開運橋際・MKビル)
TEL/FAX:019-656-8220
OPEN:14:00~24:00

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幸遊記NO.262 「水本義美の青春時代」2016.1.18.盛岡タイムス
 かつて盛岡の音楽シーンの中心を担った「東山堂楽器店」には凄腕のプロデューサーがいた。その人の名は小川道子。今は札幌に居るらしいが、夜間の杜陵高校を出た方で、彼女抜きにして盛岡の音楽史は語れない!と、熱く僕に語るのは、かつて東山堂で働いていた水本義美さん(67)。彼は今東京でタクシーを運転しているという。
 彼が開店間もなかった僕の店に現れたのは東山堂が主催するコンサートや映画「真夏の夜のジャズ」上映会などの宣伝の為だったから1970年代中頃。以来様々なシーンで出会い続けてきたが、彼は岩手高校から東海大学文学部日本文学科へと進み、出身が盛岡、八戸、新潟の文学生同士で組んだバンド「花古事記」の人気が高くて、ナベプロからお声が掛かった程だったらしい。
 卒後盛岡に戻り東山堂に入社したのはあの伝説のカーメンマクレー、カウントベイシー共演の1973年11月18日開催(幸遊記№191)直前の10月だったという。コンサート当日は大雪で彼女らが駅に着いたのは開演時間を過ぎてしまった6時30分、しかも楽器や衣装が届かず、ベリーファイン(売り物の楽器)を用意して、彼女は着て来たオーバーコートのままステージへ、チケットは前売りで1500枚を超えギャラは300万だったという。
 僕は昨2015年東京でその時の全国ツアーパンフを入手(何と5000円)それによって先の幸遊記への記述間違いが分かった。前日、会場函館ではなく、札幌厚生年金会館。盛岡の次が秋田県民会館。又21日新宿厚生年金会館のコンサート後と書いたのは渋谷公会堂でした。公演は11月10日茨城から30日宮城まで20公演。招聘元「もんプロダクション」は「神原音楽事務所」(もんプロの故・西陰嘉樹社長は当時神原事務所でジャズを担当していたのでした“1971~74”)と歴史は「論より証拠」を「痛感」した次第。
 水本さんはその後独立「キャノンボール」というジャズレコード店を経営後、CMの仕事につき、のちCMパークを立ち上げたりした人。学生時代にレコード店でバイトした時、加山雄三の妹さんがレコードの注文しに来て、その上原家に届けに行って、彼女にコーヒーをごちそうになったなぁと懐かしむ。



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