盛岡のCafeJazz 開運橋のジョニー 照井顕(てるい けん)

Cafe Jazz 開運橋のジョニー
〒020-0026
盛岡市開運橋通5-9-4F
(開運橋際・MKビル)
TEL/FAX:019-656-8220
OPEN:(火・水)11:00~23:00

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幸遊記NO.18 「菊池コージのジャズインとおの」2011.5.9.盛岡タイムス
 地震、大丈夫でしたか?と、電話をくれた、ジャズドラマーの川口雷二さん。彼の温かな気遣いの声を聞きながら、思い出したのは、菊池コージさんのことだった。
 彼は遠野市で看板業を営みながら、アマチュアのドラマーとしても活躍し、2007年1月6日、71才でこの世を去った人。本名、幸吉。かつてのクラブやキャバレーでの歌謡ショウのバックバンドやジャズの演奏などなどで食べてた人だが、病気になったのを期に、中学時代から描かされていたという肖像画の才を生かし、絵も描ける看板屋さんとして独立し、年間数百件を超える、こなしきれない程の仕事を30年余り続けた。
 だがどんなに忙しい時でも、ドラムを叩く話が来れば、仕事よりも優先し、ドラマーな看板屋と言われ親しまれた。自ら企画した「民話の里にジャズが流れる」をテーマとした「ジャズ・イン・とおの」を何度も何度も開いた人だった。それに出演するプロのジャズ演奏者たちの調達係と司会役は僕だった。
 1987年5月11日・遠野市民会館での「ジャズ・イン・とおの」に出演したのは、かつて、人気・実力共に日本一のドラマーとして知られ、親しまれた、あの「ジョージ・川口」(川口雷二の父)率いる「ニュー・ビック・フォー」。そのステージ上で、ジョージ・川口と菊池コージが、ドラム・バトル(競演)を演じるのだから、遠野の市民が喜ばない訳がなく、当時の遠野市長だった小原正己氏も大興奮し、打上げの席に現れた程だった。
 「東京新橋あたりで一流芸者として知られた母(キミさん)の子として仙台で生まれ、母の仕事柄、小学校は東京、中学は岩手等8回も転校したもの」と話してくれたことがあった。「今でも母は三味線だけは離さず弾いてるけど、やっぱり凄いよ」と誇らしげに笑った25年前の顔も忘れられない。
 彼、菊池コージさんが遺(のこ)した音は、フリージャズ・サックスの怪物と言われた、故・高木元輝(リー・ウォンヒー)とのデユオ・アルバム「グロー」で聴くことが出来ます。




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