盛岡のCafeJazz 開運橋のジョニー 照井顕(てるい けん)

Cafe Jazz 開運橋のジョニー
〒020-0026
盛岡市開運橋通5-9-4F
(開運橋際・MKビル)
TEL/FAX:019-656-8220
OPEN:(火・水)11:00~23:00

地図をクリックすると拡大します
幸遊記NO.8 「レイ・ブラウンの時には幸福」2011.2.21盛岡タイムス
 ジャズピアニスト「オスカー・ピーターソン」の名盤「ザ・トリオ」(1960~61年シカゴ録音)のLP・B面2曲目の「サムタイムズ・アイム・ハッピー」(時には幸福)が当時、ラジオから流れてきたのを聴いた菅原孝少年は、「曲の中間での124小節にも及ぶ長~いベースソロに、たまげでしまった!」のだ。以来彼は、レイ・ブラウン(1926~2002)を神とした。
 そして「ブラウン」の名を冠したジャズ喫茶を水沢市の吉小路に開いたのは74年。21才の時だった。当時はジャズ喫茶全盛時代とはいえ「カッコばっかり、の人が多かった。いわゆるホヤモノョ」と厳しかった彼も、家庭事情から9年後の83年に店を閉じた。
 70年代、レイ・ブラウン来日の度に親交深め、閉店5年後の88年の12月には、店のお客さんだった洋子さんと結婚。式の当日、来日公演中だったレイ・ブラウンはもちろんのこと、彼の奥さん「セシル」さんまでもが、アメリカからお祝いに駆けつけてくれたのだった。その宴には僕もご招待され出席。感動的な結婚披露宴だったのを覚えている。
 家業だった「せんべい屋」春から秋の「公園の売店」冬期間の「日通」と体がいくつあっても足りないために23年間ものジャズ喫茶休業。それはもう、言い尽くせない程「悶々」の日々。「なんだあアイツ。とバカにされれば燃える性質だから、今に見てろ!にっしぁたち。」と思ってきて、2006年奥州市水沢の日高神社前に自宅兼店舗の家を建て「ジャズ喫茶・RAY・BLOWN」を再びオープンした。
 マイクロのプレイヤー。マッキントッシュのアンプ。JBLのスピーカー。天井までの壁一面に膨大な枚数がビッシリと収まっているレコード。それを再生する生粋のジャズ喫茶復活激に、僕も激拍。
 久しぶりに店を訪れてみたら、僕の天女・穐吉敏子の「TOSHIKO」をさりげなくかけてくれた。嬉しかったね。何せオスカー・ピーターソンに見出され、彼のサイドメンだった「レイ・ブラウン」と録音した穐吉敏子の60年程前のデビュー盤。孝と顕はビールでビバップ!。




戻る
Copyright (c) 2005 Jazz & Live Johnny. ALL rights reserved.