盛岡のCafeJazz 開運橋のジョニー 照井顕(てるい けん)

Cafe Jazz 開運橋のジョニー
〒020-0026
盛岡市開運橋通5-9-4F
(開運橋際・MKビル)
TEL/FAX:019-656-8220
OPEN:(火・水)11:00~23:00

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幸遊記NO.333 「三島黎子の陸奥烈女伝」2017.5.29.盛岡タイムス
 歴史の紐解けば女としか書かれていない系図だが、どんな時代でも女性たちは次代へ繋げる子を産み育てて来たからこそ、男性以上に精一杯の生き方をしてきたのではないか・・・。その女性の観点から、安倍、清原、藤原三代を支えた母たちの源流をたどって書かれた「陸奥(みちのく)烈女伝」(ツーワンライフ出版刊)は、今静かなるマイブーム。
 作家三島黎子(本名・宇部真澄)さん(72)野田村出身は現・紫波町在住。千葉県に住んでいた1990年代、彼女と僕の共通の友人からの紹介をうけ、当時僕が編集していた月刊の“ケセンよみうり”随筆欄に連載をお願いし、20回程執筆して頂いたことがあった。中味は彼女が中国の大連大学で日本語を教えていた時の話「(東北はズーズー弁)は各国共通?」と「日本でも中国でも東北地方はズーズー弁が似合う」で始まった彼女ならではの筆。当時その連載で僕の興味を引いたのは「楊貴妃の墓は日本にある」だった。遣唐使として日本から渡った安倍仲麻呂が連れ帰ったという話は、義経伝説とおんなじで民衆の同情を集める者には死なせずにおきたいのが人情。大陸からこちらに渡って安楽な生涯を送ったというわけだった。ここまで書いてハタと気づいたのはこれも女性の話、こういうとこらから端を発し、前作「沙羅双樹の花の色」(宗・契丹茶立女ものがたり・東洋書店刊)そして今回の陸奥烈女伝へと繋がって来ているのかと一人がてん!。
 三島さんの処女作だった「櫓(やぐら)」も確かスカートをはいた女の子がやぐらに登って下りる時、はずかしさに気付く話だった様なとあいまいな記憶をたどれば、彼女の作品に一貫して流れているものは女性の立場としての書き方なのだった。彼女は井上靖氏のファンで、氏が「人間は40才になったら誰でも本の一冊は書ける」と書いていたものを読み、「じゃ私も書いてみるか」で書いた短編の櫓が選者井上靖氏の北日本文学賞選奨に輝いたのが始まりなのだから縁の不思議!。「女性も自分のやりたいことを自分の責任で人生をまっとうして生きなさい!他人がごちゃごちゃ言ったってあなたの人生!雑音にまどわされず望む道を進んでほしい」と女性から女性へ願う彼女の顔が平泉の一字金輪仏頂尊・人肌大日如来の顔と僕の頭の中で重なった。

幸遊記NO.332 「八木淳一郎の星にかける願い」2017.5.22.盛岡タイムス
 前回この幸遊記にて前盛岡タイムスの編集長だった関口厚光さんの本「賢治詩歌の宙を読む」について書いたが、本紙に2週に1度木曜掲載している「夜空に夢見る星めぐり」の筆者は医師で盛岡天文同好会の八木淳一郎さん(70)。実に16年間も書き続けているのだからまさに星の数。昨2016年9月29日付までの数年間その星めぐりコラムに添えられていた素晴らしい星空の写真、それを撮影していたのが、実は関口厚光さんでした。
八木淳一郎さんは2003年に火星の大接近に合わせて開いた観測会で、天体望遠鏡をのぞいた人々の喜ぶ姿に喜びを感じ、すぐさま、街行く人々に星空を!と「星空の屋台」を同好会の人達と盛岡中ノ橋のたもとで毎週木曜日の夜に開き始めた。橋を渡る人が思いかけず天体望遠鏡で星が見れる!体験できた人々は大感動し、子どものような純真さにかえる。「その人間観測もまたおもしろいんだよね」と言っていた八木さん。
 その星空の屋台は、第17回「星空の街・あおぞらの街」全国大会で、小池百合子環境大臣(現・都知事)賞に輝き、高円宮妃久子様が来県した折、星空を観察して頂くご案内役を果たしたのも彼だった。その縁あって、穐吉敏子CD(2006年度SJディスク大賞、日本ジャズ賞特別賞に輝いた、僕のプロデュース作品・渡米50周年日本公演)は、県を通じて皇后・美智子様に献上させて頂いたものでした。
 盛岡天文同好会は1949(昭和24)年の創設。1965(昭和40)年に新生盛岡天文同好会として再発足。会誌連星を発刊。’67年県教育センターへ天体観測施設設置を県に要望、この運動実り’69年、口径20センチ屈折望遠鏡とドームが設置され市民観望会も度々開かれていた。’88年同センターの花巻への移転にともない、小岩井農場への移譲を県と農場に働きかけ、’93(平成5)年「小岩井まきば天文館」がオープン。’98(平成10)年には盛岡市議会が盛岡天文同好会の請願「盛岡子ども科学館への天文台設置」を満場一致で採択。それから14年後の2012(平成24)年、ついに天文台が出来ることになったと喜んでいた笑顔と、盛岡天文台が出来るまでコラムは書き続けると言った言葉は、そのまま賢治詩を解読した関口さんの文へも連なる様な気がする。

幸遊記NO.331 「関口厚光の賢治詩歌の宙を読む」2017.5.15.盛岡タイムス
 本の出版社「岩手復興書店」の店主である関口厚光氏ご自身初本となった「賢治詩歌の宙を読む」の出版記念会が、5月12日(2017)サンセール盛岡にて開催され出席した。関口さんは東日本大震災のあった翌年、本紙「盛岡タイムス」の取締役編集局長を退き、すぐさま「岩手復興書店」を開業した方。
 大西民子講演録「昭和十年のころ」、遠藤広隆「南部馬の里・写真集」、外崎菊敏「胡堂伝・百年分の借金をはねのけた男」、八重嶋勲「父の手紙・野村胡堂に注いだ愛情」、武藤美由紀「被災の町の学校再開」など20冊程生み出した。「岩手の人たちの、知の営みを伝えたい」これが彼の理念。始まりは電子書籍での出版であった。
 歌人で「北宴」の代表編集者でもある小泉とし夫さんの口語短歌を、僕が書にした書歌集「八十二歳の朝とエリーゼのために」が彼の手により、電子書籍というCD本(パソコンやタブレットなどで再生)を出版してくれたのが2012年10月1日のことでしたが、その彼が小泉とし夫さん(90)に「読んで貰いたい」と「賢治詩を読む」の原稿をたくし、ちょうど4年後の2016年9月30日午前0時00分発、銀河鉄道の客となって、あこがれた恒星間飛行に旅立ってしまったのです。
 その関口氏(60)が盛岡タイムスの編集長だった2009年1月19日、僕のために週一の連載コラム欄を設けてくれてたので、世界に誇るジャズピアニスト・穐吉敏子さんに関する「トシコズ・ドリーム」を百回書かせて貰った。すると「次週から交友録を書いてみては」の彼のアドバイスを受け「幸遊記」を連載させて頂く様になり、これがその331週目。
 浮かんでくるのは小泉とし夫さんの「きみといて ことばなくして おきなぐさ もうわたくずとなったぼくで」だ。小泉さん自身も「詩人・村上昭夫の肖像」や「賢治の置土産」を本紙に本名・岡澤敏男名で連載させた関口さんだけに遺稿となるものを彼に送り読ませ、読んだ彼もそれを北宴誌で連載を開始、その半ばでこの度の遺稿集の出版となった。その労をとったのは岩手大学名誉教授で宮澤賢治記念短歌会の望月善次さん。宙の星々と地上の星々の恋物語を写真で証明してみせた関口さんは賢治の詩からその恋物語を読み解きそれを遺稿に顕示してみせた。流石です!

幸遊記NO.330 「北湯口佳澄のジャズクラリネット」2017.5.9.盛岡タイムス
 今年2017年東京都文京区にある「尚美ミュージックカレッジ」のジャズ・ポピュラー学科に入学した岩手県大槌町出身の北湯口佳澄さん(18)は、クラリネットを吹くことに無我夢中の様子である。そのクラリネットを始めたのは中学1年の時。「吹いてみてと指導者から言われ、全員で吹いてみたのですが音が出たのは私だけ。何ていい音なんだろうと思った。でも音階のシとドの音を出すのに3日もかかったの」。「それはシドかったね!」と僕!彼女はクラクラと笑いこける。「ゆっくりと吹いて、だんだん慣れてくると楽しくなって、皆と合わせながら、難しい曲も吹ける様になりたいと、ひたすら練習してきました。」
 佳澄(かずみ)さんは三姉妹の一番下。長女の佳織さん(26)は大槌ウインドオーケストラでクラリネットを吹き、次女の美佳さん(22)はホルンを吹く。上のお姉ちゃんの吹音にあこがれ、次女の美佳さんの同級生でトランペッターの臺隆裕(幸遊記№289)さんのJAZZプロにあこがれ、大槌高校では吹奏楽部に所属した。だが部員は女子だけの8人。大会には出られそうもにもなかった。
 そこで同校の先輩・臺さんに相談したら、来校し、ジャズで挑戦してみようよ。と指導してくれて「チキン」という曲にアレンジをほどこし「キチン」とクラのソロを取り入れた演奏で「とても楽しかったんですよ」それが佳澄さんにとってのジャズ初体験!。その高3の挑戦的演奏は、降参ではないジャズが理由の落選だった。しかし「尚美」の高校生ソロコンテストに於いては、バンドをバックにソロパフォーマンスした演奏・「ボヘミアン・アフターダーク」で何百分の2位に選ばれ、学費半額の特待生になれたのだから、彼女の努力はおして知るべし!。
 佳澄さんが努力する基となったもの!これまた、小学校の同級生で、中学では3年間同じクラスで仲の良かった優しい子・臼澤みさき(本名・岬)ちゃんが6年生の時「第49回青少年民謡全国大会で「民謡グランプリ大賞」を獲得。中学2年の時「故郷」で歌手デビュー。昨年には彼女の歌「花は咲く~盛岡2016」でNHKフィギアエキシビジョンにて羽生結弦さん荒川静香さんらが舞ったことなどの刺激からなのでした!クラリネットの名演、故・鈴木章治の「鈴懸の径」佳澄流はこれからです。

幸遊記NO.329 「菊池智のエコロルコーディネート」2017.5.1.盛岡タイムス
 歌手・郷ひろみ・1955(昭和30年)と同じ年、同じ月(郷は10月18日、自分は8日)生まれなのが僕の自慢!そういうのは北上出身、現・雫石町に家を持つ菊池智さん(62)。彼が僕の店に現われ始めたのは2003年。同年3月25日~31日の一週間僕の写心展を東京・原宿のギャラリー・ハセガワで開いたあと、一枚を店に飾っていたら、菊池さんがバーボンウイスキーを飲みながらその写真をまじまじと見つめていたが、そのあと「マスター、この写真どこで撮りました!」だった。「雫石駅の手前辺りだったかな」いい場所でした、眼下の田んぼの中の三叉路に車がさしかかった時の一瞬。手前には上を走る道の下にある家の屋根が半分写ってた。「この屋根、僕の家ですよ!」だったから、僕もビックリ・ポン!と彼にプレゼントした。後年、その下町の彼の家は御所湖広域公園にかかって同町御明神に移転、再度ログハウス風に家を建て直した。その新転地は農地で1500坪。景色のいい高台で自家用野菜を作って、それを調理して食べさせる店「Café・Gance」を開店したのが2011年2月。
すぐ震災が起きたが、震災を期に東京から戻ってきた同町出身のプロギタリスト・小林道夫さんや彼の奥様で、やはりプロジャズ歌手の小林ゆうこさん、ピアノの北島貞紀さん等が-店に出演する様になり、町長も来店したりと知名度が上がり、翌2012年7月15日、14時から18時、店の庭先を使っての「JAZZ&ROCK・ガーデン野外ライブパーティ」出演・金本麻里(vo)・澤口良司(ds)カルテット&いちごスターで大変な盛上がりを見せた。
菊池智さんの父は国鉄職員だったことから小学を北上、秋田、釜石と3回も転校、中学の時、父が買ってくれたギターはヤマハじゃなくてマルハだったと笑う。黒沢尻北高時代にはサッカーとギターにはまりフォークバンドを作り労音や新音に出演した後上京。日本獣医畜産大ジャズ研に所属、卒業後八王子の臨床検査の医療系会社に就職。岩手に転勤でUターン。
カフェ・ガンスを始めて2年経過した時、県の非常勤職の話があり店を閉め、ゼロエミッション(廃棄物減量化推進事業)、豚、牛の糞尿、汚泥、産廃などのエコロルコーディネーターとして働きながら、最近手に入れたジョーパスモデルのジャズギターに夢中の日々。

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