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金沢駅に出迎えてくれたA氏、先ずはカレーを食べに行こう!で連れて行かれたところは尾崎町のとある古い囲い塀の前。その門をくぐると石燈籠のある庭園、その奥に打ちっぱなしのモダンなコンクリートZig。入り口にはjazz spot 穆然(ぼくねん)1992の看板文字。カウンターに座って牛すじカレーを注文。カウンター越しにデカイスピーカー。ジャズファン垂涎(すいぜん)の超個性的、“カレーナルサウンド”に、おなかグー!
夕刻、ホテルからタクシーで片町へ、運転手に川の名問えば分からないという。地図を見れば鞍月用水。立ち並ぶ飲食店と道をつなぐそれぞれの小さな橋々、いったい金沢にはどれほどの橋があるのだろう。その中のひとつの向こうに、際立つ赤い看板。ピクリと反応した僕の頭に浮かんだのは「赤い橋、渡った人は帰らない」の金沢出身歌手・浅川マキのうただった。夕食後、香林坊の路地にポツンと灯るセロニアス・モンクの影絵看板「JAZZ・YORK」(作家の五木寛之氏が通った店と聞いていた)へ入るとまさに時代を感じさせる古いジャズの店、1968年開店(1982年現在地へ移転)年配の女性が一人カウンターに立つカッコよさ。ジャズの話を聞けば、最初の店にも今の店にも浅川マキさんは来ていたと云い、70年代中頃に撮影したという一枚の写真を見せてくれた。そこには若き日のママ(禎子さん)と亡くなられたご主人・奥井進マスター。一緒に写っていたのは山下洋輔(p)、坂田明(as)、森山威男(ds)そして浅川マキ。思わずコピーさせて!とコンビニへ走る。戻ってから聞いた話によれば、マキさんは1942年生まれとなっているが、それは妹さんの年齢で本人はその5コ上で、政治家の森喜朗氏は同級生!と誰も知らないおまけまで付いていた。浅川マキ本名・森本悦子・石川県美川町(現・白山市生まれ)。県立金沢二水高校卒1962年上京。67年「東京挽歌」(ビクター)でデビュー。2010年1月公演先のホテルで逝く。ここでハタ!と「浅川マキの芸名は、金沢・浅の川文学系譜(巻)が由来かも!」と僕。 それはそうと金沢には今年で10年になる「金沢JAZZ・STREET」なるイベントがある。まちなか賑わい創出、新しい文化の創造、未来を担う人材の育成、金沢の魅力発信の4つからなるコンセプトで実行委と金沢市などが共催。10万人を集める凄さ!盛岡はイシガキ盛況!ジャズフェス?てがっ!
金沢は盛岡を流れる北上川と中津川の様に犀川(さいがわ)と浅野川が市内を流れ、川と川の間に城跡があることもなんとなく似、違いは市街地のあちらこちらを縦横に用水路が造られてある事くらい?その水量の多さはまるで川。流れゆく水の様に澄んだリズミカルな音に耳を傾けると、「水の音やトンビの声を聞いていると、人間欲得を離れるもんですね」と、とある小説の中でアンマ(マッサージ師)がつぶやいた言葉が頭をよぎる。暗渠(あんきょ)を抜けて日の当たるところに出てくるときの用水の輝きもまた、まるで泉鏡花(いずみきょうか)生家跡(記念館)ちかくの「暗がり坂」から主計町(かずえまち)へ下り、個性的な風情ある古い家々の軒下の隙間を通り抜ける迷路みたいなカギ形が続く狭くて細い、まるで暗渠のような道。その先にある五木寛之が名付けたという「あかり坂」にたどり着いた時、人の心も水の性質と同じだと気付く。その二つの坂道は、正反対の名前だがジャズの様に、五木氏の小説「海を見ていたジョニー」に出てくる「ブルースって音楽は正反対の二つの感情が同時に高まってくる、そんな具合のものさ。絶望的でありながら、同時に希望を感じさせるもの、淋しいくせに明るいもの、悲しいくせに陽気なもの悲しいくせにふてぶてしいもの、俗っぽくてそして高貴なもの、それがブルースなんだ、そこのところをしっかり摑まえなきゃ、本当のブルースはやれない」を意識せずには通れない一対の坂であり、文学と音楽の持つ別々なひとつの意味を考えさせられる。
その音楽で行って見たかった金沢蓄音器館。同市で長年レコード店を営んだ、故・八日市屋浩志氏が収集したという540台もの蓄音器と2万枚のSPレコード。遡ること百数十年のレコード史を当時のレコードと何台もの再生機で時代別の音を聴かしてくれる素晴らしさ。感動したのは現在の横振動ではなく縦振動再生のレコードとそのピックアップ。何しろ一枚が三枚分もある厚さで、その重さにも驚いたが実に良い音。シャレではないが質量の違いが良(量)質の音となる証明だった。そこでまたふと思い浮かんだのは「世の中で人間の到達しうる唯一の安定はコマもしくは自転車の持つあの安定。安全な状態というのは絶え間のない前進である。(地球も自転前進)いつのまにかその回転しているものは蓄音機の円盤になっていた」という山本有三の小説「無事の人」(1949年)の一説だった。
仕事で金沢と盛岡を往き来しているジャズファンのA氏より「ジョニーに金沢に来て貰いたい」そう言って間もなく一泊二日の予定でプランを立て、ホテルを予約し往復の切符まで用意してくれたので、7月24.25日と行って来た。ありがとう。金沢は1999年に穐吉敏子ジャズオーケストラの演奏を石川厚生年金会館に聴きに行った以来20年振り。駅に車で迎えに来てくれた彼は、僕が行きたいところを連れ歩いてくれるという、願ってもない申し出。金沢の観光マップやら、記念館の案内パンフ、僕を五木寛之ファンと知っての「五木寛之の金沢さんぽ・エッセー集」など、切符と一緒に届けておいてくれたから、気分は梅雨時のようにウキウキ?していた僕。
先ずは金沢文芸館、盛岡の賢治・啄木青春館のような、昔は銀行だった建物。金沢市の保存建造物で国登録有形文化財になっているルネッサンス様式建築のカッコよさ。1階交流サロンには五木寛之さんの奥様・玲子さん(金沢出身)の絵が飾られた美術館的一角があり、その独特な画風がかもし出す雰囲気もまた、金沢のもう1つの世界観。3階文芸フロアでは、研究講座が開かれている最中であった。奥には金沢に生まれ、近代文学に偉大な足跡を残した泉鏡花の文学賞を受賞した人々と、その作品の展示室があり、えーっ、この人もあの人も、と今もときめく作家たちのオンパレード。1973年の制定。2階は金沢五木寛之文庫、作品群とその表紙の写真、レコードや小物なども展示され、彼の生き方の魅力にまで迫る空間なのだが撮影不可。そこで案内役の素敵でかわいい年配のご婦人と話をしていると、「実はここが、第2文庫で第1五木文庫は本多町の喫茶店“おあしす”の2階にあります」と教えてくれた。そこは今金沢一の人気スポット「金沢21世紀美術館」の真向かいにあり、何と「金沢20世紀カフェ」と表示している面白さ!その下に五木氏の字による「五木寛之文庫」の小さなプレート。1階はレトロな昭和の喫茶店、2階はかつての金沢タウン誌「月刊・おあしす」の編集室だったところで、本棚には五木氏の膨大な全バージョン作品群があり、しかも無料で貸し出してもいるという。その中から例の1冊「海を見ていたジョニー」を取り出すと本の中にはさまれた五木寛之小説全集月報(9)第8回配本1980.4.24講談社のしおり。そこには「海猫の見えるジョニー」というタイトルで作家・阿奈井文彦氏が書いた作品紀行文。33才時の僕のことが書いてあり、そのコピーに五木文庫のスタンプを頂いて来た。
うたの文句じゃないけれど、夏が来ると思い出すのは、はるかな尾瀬ではなく“遠い空”。
戦後30年してフィリピンのルバング島で救出された元陸軍少尉・小野田寛郎(当時51才)。発見(出会って一夜を一緒に過ごし写真撮影)したのは、当時日本の恥といわれたヒッピー的旅人?だった鈴木紀夫さん(24・千葉県市原市)アルバイトで稼いだお金で小野田さんを探しに行こう!とフィリピン軍当局と交渉して、現地に乗り込みキャンプしながら小野田さんが出てくるのをたった1人で待った男のロマンが適中してのことだった。「名刺の肩書が無ければ指一本動かせない現代サラリーマンは大いに見習う必要があるだろう」とは当時の朝日新聞(1974年3月13日付)。だが本当に見習う必要があったのは日本国だったはず。 1950年に赤津勇一元一等兵が病気で島民に保護された時、まだ山中には3人の元日本兵がいることがわかった。54年その内の一人、72年にはもう一人比軍、警に射殺され、その度に日本政府が捜索隊送り、それにかけたお金は一億円。その最初の説得隊がルバング島に渡ったのは1954年5月、それを報じたアサヒグラフ(54年6月23日号)を開けば、日本全国に5000人300団体はあろう楽隊の花形はジャズピアニスト!と日本を代表する7人のピアニスト中、紅一点、穐吉敏子さん(24才・楽団・コージークインテット・リーダー)の写真と記事。その更に20年後の74年、小野田少尉が直立不動で敬礼する姿をTVで見た彼女はアメリカのジャズ界にあって一人奮闘していた自分と重ね合わせ「孤軍」を作曲し、自分のビッグバンドで演奏、録音。そのレコードを僕に聴かせてくれたのが“軍記”さんという先輩だったが、それこそ愛国心の強い穐吉さんが旧満州(中国)の弥生高等女学校4年の時、陸軍看護婦募集に、お国の為になろうと志願!興城市の陸軍病院で実習。訓練終了後に送られる希望地の第一志望に「最前線」と書いた直後の終戦。片や小野田少尉は陸軍中野学校二俣分校出。「たとえ国賊の汚名を着ても生き延び任務を遂行せよ、戦争が終わっても次の戦争が必ずはじまる。それにそなえて残り、守備隊が全滅しても情報収集を続けよ」との命(めい)を受けたのは終戦のわずか8ケ月前のこと。それを守った彼と孤軍のバンドを率いた彼女の自分との闘いはそれぞれ30年に及び、1997年10月22日小野田元少尉は東京ブルーノートで穐吉敏子ジャズオーケストラの演奏する孤軍を来聴した。
欠番
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