盛岡のCafeJazz 開運橋のジョニー 照井顕(てるい けん)

Cafe Jazz 開運橋のジョニー
〒020-0026
盛岡市開運橋通5-9-4F
(開運橋際・MKビル)
TEL/FAX:019-656-8220
OPEN:(火・水)11:00~23:00

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幸遊記NO.453 「草津の竹久夢二ギャラリー」2019.9.23.盛岡タイムス
 女優兼歌手だった高峰三枝子(1918~1990)のデビューヒット曲となった松竹映画「宵待草」(昭和13年)の主題歌を、僕は時折レコードを引っ張り出して聴く。「待てど暮らせど来ぬ人を宵待草のやるせなさ今宵は月も出ぬそうな」は画家で詩人で装本美術家(今日のグラフィックデザイナー)の先駆けだった竹久夢二(1884~1934・本名・茂次郎)の作詞なのですが2番の歌詞「暮れて河原に 星ひとつ 宵待草の 花の露、、、、」は西条八十(1892~1970)作詞のめずらしい歌。作曲は多忠亮(おおのただすけ)(1895~1930・宮内省雅楽部・バイオリン奏者)
 大きな瞳と女性の持つしなやかさを表す和服姿の美人画はどれ見ても一見して夢二とわかる彼独特の表現だが、詩にしても「待てど暮らせど君いでず日は暮れ果ててほのしろき    門のほとりの丁子の花よ」などと似る。彼の最初の妻・岸他万喜(金沢出身)は目の大きな夢二式美人画のモデルとされるが、宵待草のモデルは離婚した他万喜と旅した千葉の海鹿島で出会いデートを重ねた人長谷川タカ。夢二の名作「黒船屋」は夢二に絵を習い、同棲し、金沢の湯涌温泉に2人で3週間も滞在した程夢二最愛の恋人だった笠井彦乃が父親に連れ戻され、1人東京本郷のホテルで悶々していた時に、近くの表具店彩文堂の主人から表具展に出品する絵を頼まれた夢二が黒猫を抱いた彦乃?を描いた傑作ミステリー画。その後モデル・お葉と暮らす。この3人の女性たちは、どこか共通する夢二好みの美人であったことは、当時の写真からも見てとれる。岡山県生まれの竹久夢二、今年は没後85年。彼の魅力を伝える施設も岡山市、文京区、豊島区、酒田市、金沢市、渋川市、草津町、由布市など十指を数える程、交歓的な大正ロマン天才画家人気は上昇の一途である。
草津・竹久夢二ギャラリー(草津ナウリゾートホテル内)の代表・萩谷栄彦(まさひこ)氏は東京生まれ、彼の祖父・萩谷秋琴(しゅうきん・1875~1952)は茨城下手網生まれ、県師範学校を卒業し、小学校の先生をしながら日本美術院の研究生となり岡倉天心や横山大観らに学び、その後山水画の橋本雅邦の後継・川合玉堂に師事し日本画の技法を学んだ人物で1904(明治37年)より岩手の一関中学で絵画と書を教えた人物、彼の作品は高萩市歴史民俗資料館に収蔵され、時折秋琴展が行われている。



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