盛岡のCafeJazz 開運橋のジョニー 照井顕(てるい けん)

Cafe Jazz 開運橋のジョニー
〒020-0026
盛岡市開運橋通5-9-4F
(開運橋際・MKビル)
TEL/FAX:019-656-8220
OPEN:(火・水)11:00~23:00

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幸遊記NO.447 「金沢ジャズストリートの巻」2019.8.12.盛岡タイムス
 金沢駅に出迎えてくれたA氏、先ずはカレーを食べに行こう!で連れて行かれたところは尾崎町のとある古い囲い塀の前。その門をくぐると石燈籠のある庭園、その奥に打ちっぱなしのモダンなコンクリートZig。入り口にはjazz spot 穆然(ぼくねん)1992の看板文字。カウンターに座って牛すじカレーを注文。カウンター越しにデカイスピーカー。ジャズファン垂涎(すいぜん)の超個性的、“カレーナルサウンド”に、おなかグー!
 夕刻、ホテルからタクシーで片町へ、運転手に川の名問えば分からないという。地図を見れば鞍月用水。立ち並ぶ飲食店と道をつなぐそれぞれの小さな橋々、いったい金沢にはどれほどの橋があるのだろう。その中のひとつの向こうに、際立つ赤い看板。ピクリと反応した僕の頭に浮かんだのは「赤い橋、渡った人は帰らない」の金沢出身歌手・浅川マキのうただった。夕食後、香林坊の路地にポツンと灯るセロニアス・モンクの影絵看板「JAZZ・YORK」(作家の五木寛之氏が通った店と聞いていた)へ入るとまさに時代を感じさせる古いジャズの店、1968年開店(1982年現在地へ移転)年配の女性が一人カウンターに立つカッコよさ。ジャズの話を聞けば、最初の店にも今の店にも浅川マキさんは来ていたと云い、70年代中頃に撮影したという一枚の写真を見せてくれた。そこには若き日のママ(禎子さん)と亡くなられたご主人・奥井進マスター。一緒に写っていたのは山下洋輔(p)、坂田明(as)、森山威男(ds)そして浅川マキ。思わずコピーさせて!とコンビニへ走る。戻ってから聞いた話によれば、マキさんは1942年生まれとなっているが、それは妹さんの年齢で本人はその5コ上で、政治家の森喜朗氏は同級生!と誰も知らないおまけまで付いていた。浅川マキ本名・森本悦子・石川県美川町(現・白山市生まれ)。県立金沢二水高校卒1962年上京。67年「東京挽歌」(ビクター)でデビュー。2010年1月公演先のホテルで逝く。ここでハタ!と「浅川マキの芸名は、金沢・浅の川文学系譜(巻)が由来かも!」と僕。
 それはそうと金沢には今年で10年になる「金沢JAZZ・STREET」なるイベントがある。まちなか賑わい創出、新しい文化の創造、未来を担う人材の育成、金沢の魅力発信の4つからなるコンセプトで実行委と金沢市などが共催。10万人を集める凄さ!盛岡はイシガキ盛況!ジャズフェス?てがっ!



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