盛岡のCafeJazz 開運橋のジョニー 照井顕(てるい けん)

Cafe Jazz 開運橋のジョニー
〒020-0026
盛岡市開運橋通5-9-4F
(開運橋際・MKビル)
TEL/FAX:019-656-8220
OPEN:(火・水)11:00~23:00

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幸遊記NO.443 「さがのさがとさがのうたじゃず」2019.7.15.盛岡タイムス
 「ジョニー!僕の好きな歌手を呼びたいんだけど、ここで演らせて貰えないかな?」そう言ったのは、日本酒愛好家の田中三郎さん!“この人!です”と、4枚のCDを持参。この人とは独自の解釈で様々な音楽を自分流のジャズにしてしまう独特の雰囲気を持つ「さがゆき」さんでした。日時は7月12日2019。会社員である田中さんが、自分のポケットマネーで印刷したA5サイズのフライヤーは、写真家でもあり写真展も何度か開いている田中さんらしく北上川に架かる旭橋から開運橋撮った写真にギターを持つ“さが”さんの顔写真をフィーチャーした、それこそ独特の雰囲気を持つもので、そのフライヤーで彼が釣り上げ連れて来た人は18名。まさに彼が18番に好きな歌手を彼自身が18番に好きな18人の友人達に聴かせたライブは、田中のさがワールドと言っていいのだろうと僕は思い、昔ジャズ喫茶店主というものはまさにこれだったと。夢中になってコンサート主催した若かりし頃の自分や同業だった人達のことを思い出さずにはおれない雨の夜だった。
 「雨とは天が空になるまで流す涙のこと」そう頭の中に浮かんだのは、彼女が帰る時。エレベーターホールにて僕の女房にひしっ!と抱きついて離さない“さが”さんが顔を上げたら、目は夕焼け、まるで真っ赤な海に沈む巨大な太陽のように見えた。小さい時からテレビも見ずに家にあったジャズのレコードを親に隠れて聞き、自分なりの譜面を書いてはひとり弾き遊び幼稚園児時代からジャズをうたい、小学生ですでにライブをやり、一万ものギャラ貰い、中学の時はタクシーで学校に通ったほどの収入を得、バンドにもアンプを買った。母の兄弟はジャズミュージシャン。北村英治のバンドに頼まれ母が着せてくれた深いグリーンの服でディナーショーのステージに立ったのは15、6歳の時。まもなく中村八大さんがスカウトに来て、車ベレットGTを買い、生徒手帳には歌える曲、バットノットフォーミー、酒とバラの日々、コルコバード、ラウンドミッドナイトなど大人の曲をズラーッと書いていて、学校から始末書を書かされたほど、いわゆるわるい娘の女王様、「我が世の春よ!」と彼女。合格した青学に行く間無くステージに追われ、様々なミュージシャンやファンとの出会いによって昔も今も売りではなく買われる唄のステージが月の半分以上あるのはまさに彼女の魅力そのものである。乾杯!。



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