盛岡のCafeJazz 開運橋のジョニー 照井顕(てるい けん)

Cafe Jazz 開運橋のジョニー
〒020-0026
盛岡市開運橋通5-9-4F
(開運橋際・MKビル)
TEL/FAX:019-656-8220
OPEN:(火・水)11:00~23:00

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幸遊記NO.442 「シュート・アロー様・楠瀬克昌様」2019.7.8.盛岡タイムス
 謹呈の印が押された「ジャズ批評」誌(株・松坂)210号が手元に届いた。松坂さんありがとう!僕もあの東日本大震災以来、古い批評誌を捜し求め続けて、ほぼ全巻揃えたところです。それはともあれ、シュート・アローさんという楽器メーカー勤務の某日本人筆者の新連載「ライナーノーツの誘惑」プロローグに次ぐ第2回「陸前高田の縄文ジャズ」を読みました。「海を見ていたジョニー/坂元輝トリオ・ライナーノーツ・執筆者・五木寛之。1982年発売」とありますが、発売は81年。「五木氏がライナーノーツを執筆することになったのは実際にジョニーへ訪問したことによる」ではありません。五木さんがジョニーに来たのは91年12月。「大作家でしかも極めて多忙な五木氏がなぜ岩手県陸前高田市のジャズ喫茶ジョニーのためにライナーを執筆したのであろうか?」これは僕が五木氏宅に直接頼みに行ったことからですが、書いて頂くのに7ヶ月ほど待ちました。「多額の原稿料をジョニーが五木氏に支払ったとは考え難い」はその通りで五木氏の無償の愛によるものでした。そして「ジャケット写真・朝倉俊弘」の名は俊博。
「なおジョニーズディスクを創設した照井顕氏は現在盛岡で開運橋のジョニーを経営しているようだ」とありますが、知っていてどうして確認の電話一本ないのだろうかと思います。シュートさんが2014年に出版した「昭和・東京・ジャズ喫茶」(株・ディスクユニオン)本の巻末に特別編として、仮設のジャズ喫茶を陸前高田市に訪ね、現店主(僕の元妻)の話をそのまま受け止めたからなのだろうかと?。しかも彼は、昨2018年11月名古屋の楠瀬克昌氏のJAZZ・CITYが発行したジャズ喫茶案内「GATEWAY・TO・JAZZ・KISSA」(陸前高田のジャズタイム・ジョニー)が表紙の本も読んだ様子。だがその本での僕に関する記述読めば、「妻に内緒で盛岡に出て行き妻には負債を抱えた店が残された」とある。そんなことはありません。僕は楠瀬氏に、「確認取らずのこれは、名誉棄損じゃないですか?」と電話した。離婚話ではお金の無い僕のために僕の兄弟達全員がお金を要求されたことから、僕が家裁に申し立てをし、店の負債と盛岡に来てから妻名義に僕が登記した土地付中古住宅の借金も全部自分が背負うことにし、13年に及んだ家庭内別居解消。又、恥ずかしい話ですがウン百万にのぼった離婚までのジャスラック使用料の未払い金についても今尚分割払い中。これが事実です。あ~あ!



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