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4月30日2018横浜「ドルフィー」での穐吉敏子さんのライブ88歳88鍵ピアノソロが、同じ横浜のジャズ喫茶「ちぐさ」との共催ということでスタートした時、本当はすでにドルフィーのスケジュールは久米雅之(ds)クインテットに決まっていたのでしたが、穐吉敏子さんのライブが出来るのならと、申し訳ないが久米さんには今回降りて頂くことに致しました!でのスタート。
ドルフィーのマスター・小室さんと連絡を取りながら僕も郵便封書や携帯でショートメールを出し、30日のライブには横浜、東京、大阪、千葉などから8名の予約を受けていた。その穐吉さんが緊急入院し、その後の予定がキャンセルになったけれどもスタジオソングスの岩崎さんからの電話では、もしかすると月末のライブは大丈夫かも?だったので、望みは持っていたがやはりキャンセル。そこでドルフィーのマスターがピンチヒッターに選んだのが、何と、日本のジャズピアニストの第一人者・佐藤允彦氏だった。穐吉さんのこともあり、僕は女房と連れ立ってドルフィーへ行くと、佐藤允彦さんはステージに立ち、穐吉敏子さんのことをお話しになっていた。 佐藤允彦(まさひこ)さんは、6台のピアノによる6人のコンサートで穐吉敏子さんと一緒だったのを二度聴いてはいるが、ソロは初めての体験だった僕。彼は若い頃から、あらゆる音楽分野のあらゆる仕事に挑戦し、多忙な活動をして来た方。1966年アメリカのジャズ専門誌「ダウンビート」の奨学金を獲得して、穐吉敏子さんに次ぐ二人目の日本人ピアニストとして、ボストンのバークリー音楽院に留学し、作編曲を学んだ。 卒後帰国して同じく同大で学んだベースの荒川康男さん、それにドラムの富樫雅彦さんを加えてトリオで吹き込んだ彼のファーストアルバム「パラジウム」を聴いた若き日から今日に至っても尚、このアルバムこそは、僕の中での日本のジャズレコード10大傑作の一枚に入っている素晴らしい作品なのである。 その夜、穐吉さんの穴埋め演奏の一曲目は何と彼女のライブテーマ曲とも言える「ロング・イエロー・ロード」だったからさすが佐藤允彦さんだなあと、僕は泣きたいくらい嬉しくなって女房の顔を見たら、その大きなまなこは、すでにうるうるで涙こぼれそうでした。 戻る |
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