盛岡のCafeJazz 開運橋のジョニー 照井顕(てるい けん)

Cafe Jazz 開運橋のジョニー
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幸遊記NO.327 「森鍵清造のホームスパン紡毛機」2017.4.17.盛岡タイムス
 平成25年(2013)、パプアニューギニア、ビスマーク諸島慰霊友好親善訪問団(戦没日本兵親族)に参加し、昭和18年6月4日戦病死した盛岡出身の森鍵清造さん当時(33才)の戦没地を訪ねた時の現地の新聞コピーを、昨2016年7月僕に見せてくれた森鍵清一さん(78)。
 彼の父・清造さんは明治44年生まれ、少年時より大工見習い。ホームスパンの全行程の中で、その最も重要な部分(綿を糸にする)そのホームスパン用の紡毛機を考案し製作、販売した(盛岡市の森鍵製作所)。その最初の簡易紡毛機は昭和9年(1934)に、大日本総合青年団理事長から「その研究と成績見るべきものあり、依って茲に助成金を交付す。尚一層の奮励により右研究完成望む」の證。
 受け取った森鍵清造さん(23)はその後も研究改良を重ね、3年後の12年5月、社団法人・帝国発明協会会長の正三位勲一等男爵、阪谷芳郎氏から、紡毛機で表彰を受けた。それに依れば「右ハ東北六県、北海道、樺太、朝鮮、台湾、及、関東州ニ於ける発明ニ付商工省発明奨励費交付規則に基く本会発明表彰規程に依り審査の結果實施ノ効果佳良ナル発明ト認メ之ヲ表彰ス」の表彰状。その発明証に関西以南だけが含まれていない不思議は、その時愛知での競技会でトップだった森鍵さんが、ライバルの豊田織機(トヨタの前身)にその座をお裾分けをしたからだったらしい。
 その紡毛機のことを清造さんの一人息子清一さんから聞いたのは2003年。そして今年(2017)4月5日、彼から電話で「ホームスパンのみちのくあかね会に来てるんですが、父の紡毛機がここにありました。いま皆で実際に動かしているところです!」と声の様子から感動と感激が伝わってきたのでした。
 みちのくあかね会!僕の頭があの2003年に戻る!いわて・そめ・おりネットワークが「岩手の布土・作品集」と言う写真集を制作した折、その作品写真を撮ったのが僕で、あかね会に行った時のそのたたずまいや、紡毛機や機織など、どれをとってもすべてが古いものを使っていた。えもいわれぬ印象だった。その昔で思い出すのは深澤七郎のベストセラーで映画化なった小説「樽山節考」昭和32年の表紙と中表紙の絵。描いた画家の故・高橋忠弥さんは清一さんの母の姉のご主人だったことだ。



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