盛岡のCafeJazz 開運橋のジョニー 照井顕(てるい けん)

Cafe Jazz 開運橋のジョニー
〒020-0026
盛岡市開運橋通5-9-4F
(開運橋際・MKビル)
TEL/FAX:019-656-8220
OPEN:(火・水)11:00~23:00

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幸遊記NO.326 「衣笠祥雄のジャズとホームラン」2017.4.11.盛岡タイムス
 僕が子供だった頃の遊び場は、平泉町の達谷窟の広場だった。(現・達谷窟毘沙門堂前の庭園)そこでの遊びは野球。ボロ布丸めて引き裂いた布糸や麻糸でぐるぐる巻きにしたボールと、山の木をノコで切りナタで削って、茶碗の欠片でカンナかけした手作りバット。打球が広場を超え田んぼに落ちればホームラン。その楽しさの延長で中学で野球部に入ったが、暗くなるまでの球拾い、毎日夕方に真空管のラジオにかぶりつき、聴いていた「少年№1」が聴けなくなったことから即退部!。
 以来野球とは無縁になったが、チリ地震津波の後に陸前高田に市営松原球場が出来、間もなくプロ野球2軍のイースタンリーグ戦が行われ見に行った。どことどこの対戦だったかのかもまったく記憶にはないのだが、唯1人、ホームランを打った衣笠(祥雄)という人の名と、その光景だけは、今も鮮烈に覚えている。彼は僕と同い年1947年に京都に生まれ、平安高校から広島カープに入団。1970から連続出場で世界記録を塗り替えた人で、75年赤ヘルブームの立役者。87年には国民栄誉賞を受賞した鉄人(初期の背番が28号)。
 昨2016年、広島東洋カープがリーグ優勝した時、大阪で発行されているテイクフリーのジャズ誌「WAY・OUT・WEST」10月号に、その衣笠氏のインタビュー記事(2012年12月号の再掲)が載っていたので読んでみた。
彼は、広島カープに入団して間もない頃に出合ったのが流川のジャズ喫茶。その店で知り合った「アメリカ海兵隊さん(ベトナム戦争に行く若い2等兵たち)が死と隣り合わせながらも、音楽が聴ける喜びを語っていた彼らに接し、野球が上手くいかずイライラしてくさっていた自分を本当に恥ずかしく思ったことを覚えている。その時からジャズの持つ自由な広がりや、お互いをぶつけあうスリリングな展開に惹かれていった。選手生活を終えてから初めて参加した故・大橋巨泉氏主催のハワイ・マウイ島ゴルフ大会で聴いた故・ジョージ川口、日野皓正等が夕陽を背にした演奏は最高の瞬間で今でも忘れられない」という。それは僕の見た若い衣笠さんのホームランと同じ一瞬の永遠なのだろう。1975年僕等が主催した歴史的革命の大音楽祭」の会場だったあの松原球場がリニューアルなった直後の2011年3月11日あの津波でした。



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