盛岡のCafeJazz 開運橋のジョニー 照井顕(てるい けん)

Cafe Jazz 開運橋のジョニー
〒020-0026
盛岡市開運橋通5-9-4F
(開運橋際・MKビル)
TEL/FAX:019-656-8220
OPEN:(火・水)11:00~23:00

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幸遊記NO.315 「小津昌彦のジャズプラザ」2017.1.23.盛岡タイムス
 手元に「ドルフィン・ダンス」というLPレコードがある。トランペット、テナーサックス、トロンボーンの三管とピアノ、ベース、ドラムの6人編成によるハード・バップ・ジャズアルバムである。リーダーは日本屈指のドラマー・小津昌彦さんが1983年に録音したダイレクト・カッテング(演奏はテープを介さず直接ラッカー盤に刻む方法)である。
 このグループをジャズ評論家の故・いソノてルヲさんは「日本のジャズ界に咲いた一輪の名花である」と評した。リーダーの小津昌彦(1941~1997)さんは、三重県松坂市生まれ、高校生の時に労音が主催した、白木秀雄コンサートを見て感激、立教大学在学中にジミー竹内さんにむりやり押しかけてドラムを教わり、当時同大学生だった大野雄二、鈴木宏昌、佐藤充彦ら、のちの一流ジャズピアニスト達と一緒にバンドを組み、大野さんとは大学4年の時、銀座のファンタジアに出演注目を浴び、卒業と同時に№1テナーの宮沢昭クインテットに抜擢されプロとなった。1967年ジャズ界の異才として知られたアルトサックス奏者・オーネットコールマン来日時のレギュラードラマーの他、サラボーン、カーメンマクレー、クリスコナー、アンバートン、サリナジョーンズ等世界の一流どころと共演。そのドラミングは日本の歌手達からも絶対的に支持され続けた。
 今は故人となった宮沢昭、尾田悟の2人のテナーマンは日本の宝物だから生の音を全国に届けたい!と1980年から小津昌彦ジャズプラザを立ち上げ97年9月の亡くなる日までスケジュールを入れて、北へ南へその大物たちを運び届け自ら一緒に演奏したドラマーのそれは、勝れたジャズドラマでもあった。僕の陸前高田時代、1984年7月宮沢カルテットがジョニーで演奏した時、あまりお金を払えない僕に「僕等が本当に聴いてほしい人ってのは、お金をくれられない人だから、いいですよ」と快く言ってくれたこと。又87年に来た時、宮沢さんから「日本ジャズの陸前高田で、しかも市民会館ホールで気持ちよく演奏出来たこと、とても感謝しています」と言ってくれたことなどが浮かぶ。小津さんも亡くなられて今年で20年。月日のたつのは早いもの、その彼のお弟子さんで盛岡出身の村井洋介さん(ジャズドラマー)が帰省した正月、一緒に酒を飲みながら僕は彼の師・小津さんのことをも想い出したのでした。



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