盛岡のCafeJazz 開運橋のジョニー 照井顕(てるい けん)

Cafe Jazz 開運橋のジョニー
〒020-0026
盛岡市開運橋通5-9-4F
(開運橋際・MKビル)
TEL/FAX:019-656-8220
OPEN:(火・水)11:00~23:00

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幸遊記NO.271 「ジャズのウエスト・エンド・ブルース」2016.3.21.盛岡タイムス
 かつてビレッジ・ストンパーズの演奏で世界的にヒットし、日本でも大流行した「ワシントン広場の夜は更けて」今でも聴けばすぐさま10代の頃に戻ってあの曲でフォークダンスを踊った光景が目に浮かぶ。実はあれがデキシーランド・ジャズだったんだと気が付いたのは20代になってからのことだった。
 その舞台となったニューヨーク・マンハッタン島の南方、グリニッチ・ビレッチにその広場(公園)はあり、今なお昔を懐かしむかのように中年とおぼしきカップルたちが、ベンチで抱き合い、灯下に立ったままでキスをする目の毒的光景を見てきたばかり。
 その広場から程近いところには、世界一有名なブルーノートやヴィレッジバンガードといったジャズクラブがあり、僕が必ず行く「スモールズ」もある。この店は地下へ降りる階段の途中で10ドル払えば店に入ってバンド演奏が聴けるし、演奏出来る人なら朝方のジャムセッションにも参加出来る、新人登竜門の良心的な店。ステージのバックには、帽子をかぶり、トランペットを持ってニッコリ笑うルイ・アームストロングの大きな写真パネル。
 僕が行ったその日は3月6日の深夜だが、前日の5日ニューヨーク入りした僕等17名は、50人乗りの大形バスをチャーターして、ラガーディア空港に近いコロナという地区にあの、ルイ・アームストロングのハウスミュージアムに行き、彼の晩年の生活ぶりを見聞、彼の奥さんがカトリック教徒だったことから信者の多いコロナに居を定めたことや、近所の子供達のために寄付したり、楽器を教えたりと、住民からも尊敬された人だったという。
 サッチモと同じ時代に生きたコールマン・ホーキンス(ジャズテナーの元祖)は知る人ぞ知る存在の人で、現在穐吉敏子さんの住んでいる、セントラルパークウエストの同じ通りのななめ前位に住んでいたそうです。「サッチモは“ハロードーリー”のコマシャールで子供にも知られる人になったけれど、彼の“ウエスト・エンド・ブルース”は、あんなの一本あったら死んでもいいってくらいの演奏ですよ」と穐吉敏子さんは僕に言う。そういえば穐吉さんが一番最初に買ったレコードは確かそれだったはず!と、 とっさに僕の頭が反応した。



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