盛岡のCafeJazz 開運橋のジョニー 照井顕(てるい けん)

Cafe Jazz 開運橋のジョニー
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幸遊記NO.264 「穐吉定次の双葉山横綱」2016.2.1.盛岡タイムス
 平成28年大相撲初場所は1月24日、東京両国国技館で千秋楽を行い、大関琴奨菊(31.本名・菊次一弘、福岡県出身、佐渡ヶ嶽部屋)が、大関・豪栄道を破り、14勝1敗で初優勝を飾った。平成18年初場所での栃東以来実に10年振りの日本人力士の優勝。大関在位26場所目で、白鵬,日馬富士、鶴竜、の3横綱を破っての頂点。その琴奨菊に唯一人土をつけた豊ノ島は東前頭7枚目で3度目の殊勲賞(12勝3敗)。新入幕の正代(西前頭12枚目)は10勝で敢闘賞に輝いた。これは初代若乃花に次ぐ史上2位の速さだという。
 この嬉しさで想い出すのは、昭和の名横綱双葉山。彼は明治45年(1912)2月9日、大分県宇佐郡天津村布津部(現宇佐市)に木炭業と船舶運搬業を営んでいた父義広、母美津枝の次男として生まれ、15才の時身長172cm、体重71kgの体を見込まれ、大分県警部長で立浪部屋の後援者だった、双川喜一氏の世話で入門。昭和2年3月初土俵。276勝68敗1分(33休)の成績。昭和11年(1936)1月場所7日目から連勝を続け、翌12年5月場所後に横綱となり、前人未到の69連勝(13日制)の大記録を打ち立てた人。
 昭和14年1月15日(4日目)安芸の海に70連勝を阻まれ、5日目両国、6日目鹿島洋に連敗し、9日目には玉の海に敗れた。その原因は前年の中国大陸巡業で、アメーバ赤痢にかかっての体調不良。だが一言も弁解しなかった人らしい。入院中の大阪に小結時代からの双葉山ファンだった小柴澄子さんと結婚。その直後の15日制となった5月場所で全勝優勝!それは新婚旅行さえ取りやめ、けいこに打ち込んでの復活だった。その後は終戦の昭和20年まで土俵の王者として君臨した不世出の力士。
 「昔のお相撲さんで双葉山という横綱がおりました。あの人は穐吉定次と言って、私の近い親せきです」そう言ったのは、今年渡米60周年を迎えた、NY在住のジャズピアニスト穐吉敏子さんだった。そのことから僕は昨2015年10月、彼女が東京文化会館でコンサートを行った翌日、荒川区の善性寺をたずね双葉山の眠る穐吉家の墓と対面しながら、ジャズと相撲の道は違えど、心の中に持つ確固たる信念と精進の精神は同じだと思った。



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