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1977年以来,今日まで35年間、僕は日本のジャズ一筋に生きて来た。その日本のジャズも今では,世界中に翔き、世界最大のジャズマーケット・ニューヨークでは、2012年4月のジャズスケジュールにバンドのリーダーとしてクラブやホール等に出演している日本人や日系人の名が相当数見られる。 日本からアメリカに贈られた3000本の桜も子孫繁栄し、100周年を迎えたことから、僕達一行もまた、サクラとなって「ジョニーと行く穐吉敏子への旅」としてアメリカに来た。 ワシントンDCの名門ジャズクラブ「ブルース・アレイ」に3日間、満員の聴衆を集めて行われた最終日の2ステージを鑑賞!。「全米芸術基金NEA・JAZZ・MASTER」の称号を与えられた唯一人の日本人・穐吉敏子(82)の気迫溢れる熱演に度肝を抜いた!凄い!の一言。 想い起こせば」56年前の1956年。単身アメリカに渡った穐吉敏子さんが、今日まで苦難を克服しながら切り拓いて来た「日本ジャズの世界」は、現在「世界のジャズの中心(核)」となっている事実!。 「ブルース・アレイ」のスケジュールを見れば、穐吉の他、スタンリークラークのバンドで、グラミー賞を受けたピアノの「HIROMI」や、全米スムースジャズのトップランナー「KEIKO・MATSUI」などが太字で名を連ねる。 ニューヨークの「ジャズ・アット・リンカーン・センター」の「ローズ・シアター」で2日間「穐吉敏子・ジャズ・オーケストラ」の特別公演。その前日、リハーサルの2日目(12日)に僕達一行のリハ見学を許可し、招待してくれた穐吉さんに大感激。指揮する穐吉さんが、彼女のオリジナル曲を演奏するオーケストラに向かって的確に指示する一言一言が、そのサウンドをガラリと変貌させ、繊細さを増してゆくオーケストラの音。 穐吉の、いやニューヨークのジャズ史に残るコンサートの裏側を僕達だけが特別に体験させて貰ったことにも大感謝!当日のコンサート(今夜13日)。それこそ紅いバラを想起させる様な楕円形のホールの中央で聴いた僕達は、360度から湧き上がる歓声と拍手の嵐に包まれて感極まった。(ニューヨークにて) 戻る |
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