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「愛すべき若者である」と、僕は彼と出会った時にそう想った!。明るく、茶目っ気があり、自由で一生懸命。そして礼儀正しかった。 「マスター!面白いピアノを弾く子を見つけたよ!」そう言って、陸前高田のジョニーへ、その佐々木浩平君という少年ピアニストを連れて来たのは、遠野で看板業を営みながら、ドラマーとしても活動してた、故・菊池コージさんだった。1998~9年頃の事。 僕が盛岡に店を移してからは、突然現れてピアノを弾き、バンドで何度か出演し、唄伴の為に呼んだりもした。彼の手に掛かると、曲はロックもポップスも、ジャズでさえも、彼流に衣替えして、別物の様な姿で現れるのだった。 2009年6月、札幌パークホテルで行われた、穐吉敏子・ルー・タバキン・ヴィンテージ・デュオが終った夜に、交差点で、偶然に彼と出合い二人で酒を飲んだ。そして今年2012年6月11日、穐吉敏子ソロツアー中の札幌で、彼に電話をしたら案内されたのは、「ビート・ガレージ」というライブハウス。そこはかつて全国チェーンで知られた「KENTOS」という店のあと。そこを、閉店時まで出演していたバンドで店を引き継ぎ、その後に、自分で経営するはめになったのだと、彼は笑った。出演していたのは、その「リトル・ベアーズ」。 懐かしの60年代ポップスやロックンロールのビートに乗って、おじさん、おばさん達がノリに乗って踊り出す昔的な店だが、演奏も唄う女性も全員若者。浩平君は汗だくになりながら、ビールやポップコーンを運び、時折交替しては、キーボードを弾く。ヤンヤの喝采!。今も一夜4店舗、9ステージを掛け持ち、次店への移動中に頭を切り替え、ポップス、ロック、ソウル、ジャズと、次のリズムで歩いて行き、演奏するのだという凄さ! 彼は1980(昭和55)年、八戸生まれ。6才からピアノを習い、12才で「エリーゼのために」をジャズ風に弾き、教室を破門された。13才で作曲家・さがあきひこ氏に拾われ、14才で「サンキュー・ベリーマッチ」という吹奏楽曲(43パート譜)を作曲し、全国中学アイスホッケーの入場行進に採用された。19才の時には、ミュージカル「かえるのらくえん」を作曲するなど、若い時から才能を発揮し、今日に至っている。 戻る |
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