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1980年代の夏、まるで渡り鳥のように、秋田県田沢湖町から、岩手県陸前高田市 にあった僕の店を目差して、200km余りの道程を、当時、ドカバイと呼ばれた黒の50cc原動機付自転車に乗って、毎年毎年、必ず飛んで来たジャズファン荒川憲二郎さん(55)。 彼がジャズを好きになるきっかけとなったのは、僕と同じで、岩手県宮古市出身の世界的ジャズピアニストになった、故・本田竹彦(広)のレコードを聴いてからだった。 その荒川さんは、僕の店「ジョニー」に通い出して10年目の年、意を決し、自分の住む田沢湖町に、ジャズファンクラブを立ち上げたのでした。その名はドラゴンジャズサークル(田沢湖邪頭倶楽部)というもので、確か20数名での発足。当時は、全国にそうしたファンクラブが数多くあったが、今ではその殆んどが姿を消してしまったが、ドッコイ!田沢湖ジャズクラブは健在で、結成20周年を越えた。これまで年2回ペースで52回もの生ジャズ演奏会を開催して来た。恥ずかしながら1度だけ僕のバンド「アテルヰじゃんず楽団」を町民会館のリハーサル室に呼んでくれたことがあった。素人のバンドはこの時だけで、あとの51回は全てNYと東京からの一流どころ。 結成時からジャズサークルの顧問にさせられている僕は、名前だけでは申し訳ないと、平成8年(1996年)から、我ら日本が誇る!世界のジャズピアニスト・穐吉敏子さんを紹介し、これまで9回田沢湖で開催した。その9回目となった今回の穐吉敏子ソロ(2012年6月15日)は、その田沢湖ジャズクラブ始まって以来の大入り!会員全員が大喜びし、満面の笑みをたたえてた。 今この世は、インターネット情報の時代だから、あちこちから問合せが来る。でも、それはあくまでもプラスアルファー、荒川会長をはじめとする、全会員の手売りによるチケット販売のたまものなのである。今年はドラゴン(竜)年、彼等にとっても最高の年となった。 その穐吉ジャズを聴きながら、湖畔の絵(120号)描いたのは、あの屋根の無いアトリエ作家・菊池如水さん(90)。それを終演後披露し万来の拍手。 そういえば16年前、荒川さんを主人公にした僕の初小説「瑠璃色の夜明け」というのがあったなぁ。 戻る |
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